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奈良美智の日々

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1月29日 朝

なんとはなくアベレージに引っ張ってきた感はあるけれども、
なんだか冒険が足りないというか、イマイチぱっとしない。
肩先にかかる髪の毛の処理、そのイメージもわかない。

バックの色を少し強めに考えようか・・・緑っぽい色とか(冒険!)。

口の赤も抑え気味にして、どちらかというと黒っぽい山葡萄っぽい色に。

髪の毛、やっぱ最近の処理の仕方でやってみようか・・・
とにかく、バックを緑っぽくするって決めただけで、もう少し進める!

服の色、まったくアイディアが浮かばない・・・・
髪の毛もナリでやっていってる・・・・
ただ、顔の色だけはちゃんと決めれるはずだ。
ちょっと白っぽい顔色を・・・赤っぽくは出来ないなぁ・・・
黄色っぽくても気持ち悪い・・・秋田美人風の色白に!

悔しいなぁ~。悔しい~。
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by ynfoil | 2014-01-29 07:06 | 日記 | Comments(0)

1月25日 朝

めっちゃ底の厚いラバーソールを履いて山登りしてるようだ。
一筆一筆が重い・・・と感じるのは付ける絵の具の量もあるのか。
今までより確実に絵の具の減りが早い。
そして原色を置く場所、つうかタッチを多用しすぎている。
しかも画面上の色のコントラストが強すぎて、
どこまで先を考えて色を置いてるのか、自分で不安になってくる。

全体が見えているのかいないのか。
ひとつ前の絵から、あまりにも遠くに冒険しすぎている。
呑気で楽天家の自分でも、これじゃ~不安になってくるではないか!

しかしながら、構図は安定してきた。
ヘアスタイルが決まりさえしたら、それは問題ない。

中間色を多用して、コントラストを弱くするべし。
濁った色の組み合わせが、全体を見た時に汚く見えないようにするべし。

それがうまくいったらば、冷静にチェックするべし。
描かれている人は、他を無視してもいいが、俺と対話しているか?
情けないような眼で、グラビアモデルのように媚びを売ってないか?
意志を持って、俺と対話してくれるなら、良い出来だし、
そうでなければ・・・ん~、そうでなければ・・・イマイチの出来だ(笑)

ちょっとピントが甘かったら、もう一枚描けばいい!
つうことで、完成に向けてスパートするべし!
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by ynfoil | 2014-01-25 05:00 | 日記 | Comments(0)

2003年6月5日の日記

1月18日の、道産子フレンズの冒頭の『赤坂Blitz』
以前の日記から2003年の6月5日であることが判明。
齋藤奈緒子さんと、やっぱ同郷のヒロシと観に行ってた。
以下にその時の日記を引用して、今再び(つうか、何度でも何度でも)気合を入れる!


 2003年6月5日

赤坂ブリッツでイースタンユースのライブ。
ひろしと齋藤奈緒子さんと一緒に観る。

イースタンの真摯な姿勢に自分の臆病さを恥じる。
今日がツアー最終らしいが、彼らはいつも全力投球だ。

ライブ終了後に吉野くんと初めて対面。
「いつか会わねばと思ってた」という彼の言葉に、自分自身が奮い立つようだ。
今の自分じゃ恥ずかしいが、俺は今日を越えて生きていきたい!
今度会う時はもっと堂々としていたい。

イースタンユースに忘れかけてた力をもらった気がする。
そう、忘れかけてただけなんだ。
その力を俺は本来持っているんだ。

LA.MOCA用のエディション案を考える・・・
お面にしようかと思ってアイデアスケッチを数枚。
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by ynfoil | 2014-01-22 22:56 | 日記 | Comments(0)

 KENZI = ケンヂ にも感謝しないと地獄に落ちるぜ!

初心に立ち返って画面を見る時、ドイツで暮らし始めた頃の空気がまだ自分を包んでくれる。

THE STAR CLUBはもちろんだけれども、KENZIにも随分と助けられた。

ちょうどドイツへ渡る前の2年半、予備校で美術系へ進学希望の高校生たちの先生をしていた。

彼らとKENZIの歳が近かったからか、気の利いた教え子たちはKENZI & THE TRIPSが好きだった。

それはもちろん先生である自分の影響でもあるのだけれど、僕はラフィンやSCよりもKENZIに共感を持つ生徒たちが好きだった。

めちゃくちゃポップで青く純な歌詞とサウンドは、まさに10代のもので、KENZIは自分よりは彼らの側だった。

20歳を半分以上も過ぎて、世の中を斜に見てしまうような自分の眼には、青く輝いている生徒たちとKENZIは同じに映っていた。

僕は青さに憧れを持ってKENZIの歌に共感していたし、もしかしたら自分より若いミュージシャンを初めて観たのかもしれない。



名古屋駅のホームで美大予備校の生徒たちに見送られて東京へ向かい、ドイツへと旅立った。

CDなんか無い時代、日本から手持ちの段ボール箱一杯のカセットテープと共にドイツ生活は始まったのだ。

たとえば、自分にとってブルーハーツはあまりにも健全すぎた。

彼らの歌は素晴らしすぎて、僕は自分の汚れを恥ずかしく、悲しく思うこと度々だった。

KENZIも健全だったが、それは陰の健全さだった。かつてロンドンで見たボロボロのパンクスに感じた悲しくも純なものだった。

ドイツという言葉も通じない異国で、僕はKENZIやSCを聴きながら制作したのだった・・・あの屋根裏のちいさな部屋で。

そこで描かれた絵は、デュッセルドルフ芸術アカデミーの入学試験への提出作品となった。

僕は、運良く合格して滞在ビザも発給され、なんだか若者の出世番組にババ~ンと登場するみたいにドイツ生活をスタートさせた。

といっても金があるわけではなく、日本レストランの皿洗いという古典的なバイトをはじめ、いろんなバイトをすることになる。

そして、その後12年間をドイツという異国で生きていくことになるのだった・・・



まぁ、そんなわけで、僕は今もKENZIには心底感謝している。

そして、これからもずぅ~っと感謝の気持ちを失わないでいたいのだ。

その気持ちを持ち続けて制作し、時にKENZIの歌詞からドローイングを描いていきたいのだ。

PUNKってのは、見かけの恰好なんかじゃない、純な心なんだ!

日和ってしまった大人たちや、制服を着た坊ちゃん嬢ちゃんに中指突き立てるんだ。

ペテン師たちにFUCK YOU!って言い捨ててやるんだ。

僕はスマ・ロ子の『キズだらけの天使達よ』を繰り返し聴きながら、この文字を打っている。

今、曲はちょうど9曲目『昨日の如く』だ。

僕は途中で入るKENZIのセリフに、聴く度に、何度もやられてしまう。


「 随分と離れていたな。 あれから30年だぜ。 でもな、聞いてくれ。 忘れたことなんて一度もなかったよ! 」
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by ynfoil | 2014-01-19 04:11 | 日記 | Comments(0)

道産子フレンズ

赤坂Blitzだったと思う。

その頃の自分はROCK’IN ON社の雑誌に連載を持っていて、担当の齋藤奈緒子さんは偶然にも高校の後輩だった。当時自分はドイツに住んでいたのだけれど、一時帰国した時にはROCK好きの彼女と一緒にライブに出かけたりしていた。その日も、お互いに好きなバンド、eastern youthのライブに出かけてたんだろうか?それとも、ミッシェルガンエレファントだったんだろうか?

そのライブ自体は思い出せないんだけど、とにかくライブが終わった後にイースタンの吉野くんに紹介された。そして、それが始まりだった。その時の彼の言葉が嬉しすぎて僕は決して忘れない。「いつか会うと思ってた」

僕は中央線沿いの吉野くんの部屋におじゃましたし、吉野くんは福生の米軍基地近くの僕のボロっちいスタジオにも訪ねてきてくれた。ずいぶんと彼の音には助けられてきたと僕は思っていて、そんな人と直接知り合いになれたことが信じられなかった。

そして、吉野くんからブッチャーズの吉村くんへ繋がっていったんだ。

当たり前だけれども、ブッチャーズの音にも助けられたし、YOYO-A-GOGOに彼らの名前を見つけて嬉しかったのも思い出した。新宿リキッドでのブッチャーズのソロライブは2001年10月20日。下北沢でのナンバーガールとのジョイント以来のブッチャーズで、もちろん最高の演奏だったし、ライブ後の楽屋でスカイパーフェクトTVの音楽番組からコメントを求められて絶賛したのを覚えてる。その時、吉村くんは鞄の中から僕のドローイング集『NOBODY KNOWS』を取りだして、僕は適当なページにサインをしてメンバーの似顔絵を描いた。その場には、54-71や怒髪天のみんなもいたのだけど、話してはいない。

その4年後の2005年、僕はブッチャーズのニューアルバム『Banging the Drum』のために絵を描いた。そして翌年の2006年には、実家のある青森県弘前市で開催したA to Z展のオープンに合わせてライブをやってもらったのだった。その後もアルバム『ギタリストを殺さないで』のジャケに絵を提供したりして、吉村くんとの付き合いは続いていく。

さて、僕が怒髪天の増子直純という人と直接繋がるのには、それから5年後の2011年まで待たなければならなかった。つうか、怒髪天の音に出会ったのも吉野くんがきっかけだったな。『極東最前線』(2000年)。サムライブルーは素晴らしい楽曲で、たちまち虜になってしまったのだ。その後イベントでDJまがいのことをやる時には定番の一曲になった。

2011年、その年の3月11日を日本に住む人なら決して忘れはしないだろう。東日本大震災。その年、例年ならば春に開催するARABAKI ROCK FESは中止になり、しかしながら秋に開催された。そこに僕はチャリティグッズの制作で参加したのだけど、最終日の最終ステージで壇上に呼び出され紹介された。その時にステージ袖で「この人は、アナーキーな人なんだよ~」と、酔っぱらった増子さんが言ってるのが聞こえていた。

その後、吉村くんが僕のメールアドレスを増子さんにおしえて以来、増子さんとの男同士の変なメル友関係が出来上がっていって、今日に至ってるのだ。ほんと、吉野&吉村、両道産子のおかげで知り合ったと言っても過言どころか、実際そうなのだ。ということで、やっと主題である、怒髪天武道館公演2014『ほんと、どうもね』を語ろうと思ったけれど・・・・・

・・・・・すまんけれども、今、ここで語るのはやめておく。もっと時間が必要だ。

武道館公演の内容自体は、たくさんの人たちが語ってくれていると思うし、DVDも発売が決まっている。

僕自身のことを続けて言わせてもらえば、名古屋栄の裏通りにあったギャラリーでの初個展から今年は30年目なのだ。すれ違うことができないような細い階段を上った6畳ほどのスペース。あれから30年だよ。あのちっぽけな個展から、専門誌でのレビューなんて夢のまた夢だったあの頃の自分から30年なんだ。怒髪天デビュー30周年のこの年に、自分を重ね合わせてしまうのだ。

そして、サムライブルーが極東最前線に収録された2000年は、翌年開催予定の日本の美術館での初個展のためにドイツを離れて日本に戻った年だった。自分にとって、日本でのメジャーデビューの年だったのだ・・・

そんなこんなで、自分は勝手に怒髪天と同じ時間軸で、それぞれの道を並行して歩いてきてると思ってる。

まぁ~ほんとに武道館公演に関しては何も言うことがないのだ。
もしかしたら夢ではなかっただろうか?と思うほどなのだ。
それは現在の自分の状況に対しても同じなのだ。
これは夢ではないのか?夢をみているのではないだろうか?

けれども、あのちっぽけな個展は夢ではなかった。
バイトしながら絵を描いていたあの頃は本物だった。
今のような、思うことをすぐに実行に移せるような状況にまだリアリティは持てない。
人生はまだまだ続いていくし、前に進むことで、今の夢のような状況をやっと本物の過去にすることができるのだ。

体がキツイので無理に走ることはしないだろうけれど、休むことなく歩き続けていくべし!

KEEP WALKING!  (ここで曲、流れますw)



PS.冒頭の赤坂Blitzは、2003年6月5日で、eastern youthのライブだったです。 2014.1.22追記。
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by ynfoil | 2014-01-18 04:44 | 日記 | Comments(0)

2008年9月10日の日記から


自分の日記をさかのぼって、ドローイングに関して書いてるものを探してたら、めっちゃいいのを発見!
こんな風にして、今夜も部屋にいる・・・「1,2,3,4!」 魔法の呪文だネ!


2008 september 10

鉛筆の芯を舐めてから
 ペロッと舐めてから

リモコンのPLAYボタンを押してから
いつものカウントが部屋に響いてから

   1,2,3,4!

何も描くものが見つからなくても
とにかく机の前で待機してるんだ

何かが見えても見えなくても関係ない

時の隙間に頭をねじ込むように
鉛筆を紙に押し付けるんだ

右手と左手は握手しなくても
ちゃんと繋がってるってさ
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by ynfoil | 2014-01-10 23:30 | 日記 | Comments(0)