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奈良美智の日々

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2001年2月28日から11年後

2001年の夏に横浜美術館で個展をした。
それから11年後の今年、再び同じ場所で個展をする。
前回とは違って、期待や喜びよりも不安が大きい。
正直、プレッシャーに押しつぶされそうになる自分だ。
それでも、制作ペースの目安として、11年前の日記を読み返したりして冷静さを保とうとしてる。

でも、↓こんなん読むと、後にミチロウさんと個人的に話すようになるとは!って思って、違う意味でビビる。

この日記の最後の1行、「俺はまだ死にたくなんかない。」と言ってるけど、
今の心境は「俺は完璧な遺書を描きたい。」だ。(まだまだ死なんけど!)


   ・・・2001年2月28日の日記から・・・

のほほんと平和に暮していると、なにも見えなくなってしまう。
エロやグロや悪徳、暴力がそんな平和ぼけの眼を開かせる時がある。
いっぱしのインテリを気取り良識ぶっても、所詮人は食っては排泄する動物だ。
意志も持たず、きれいごとにどっぷりと浸かってるやつらにミチロウは吠えるのだ。
臓物を会場にばら撒くのだ。全てぶちまけるんだ。
彼が「死にたいか!」と叫ぶ時、それは本能を感じる時だ。
きれいに創られたものは破壊され混沌に引き戻される。
そして、ゲロまみれの混沌に一筋の光が降り注ぐのだ。
その光の清さに、美しく彼は輝いていた。
嘘ばっかりで固められた服を身にまとい、人間はその足跡を残す。
しかし本当に美しいものは、愚かさや汚さの中にいるという自覚から生まれるのかもしれない。

アンコールのステージにはいろんなミュージシャンが立っていた。
KENZI、オーケン、パンタ!、ナカノシゲル、ナオキ、ヨースコー・・・・・
感動以外のなにものでもない「仰げば尊し」が終わり、ケイゴがドラムを金属バットで叩き壊した。
ステージの明かりが落とされたが、コールは止まなかった。

壊れたドラムセット、偽札が散らばったステージに一人アコースティックギターを手にしたミチロウがいた。
「これが今の本当の自分です」
そう言って「天国の扉」を歌い出す。
その歌には僕がスターリンを観て、聴いて、感じていたことの全てがあった。
彼は最高のバンド演奏が終わった後にも、更に一人でギターを弾き歌う生の自分を見せた。
さっきまで拳を振り上げダイブして踊り狂ってた連中が皆、静かに聴き入っていた。
その叫びはアンプを通した爆音よりも大きかった。

控え室に戻ったケイゴに「すごく良かった」とだけ言って、すぐに帰ることにした。
外でまさに感動状態の東谷に会った。良い顔をしていた。

この感動を、あの歌を絵にしようなんて思わない。それはくだらないことだ。
あの歌は遠藤ミチロウの生き様なのだ。
生き様を借りるわけにはいかない。
この感動を、あの歌を胸に自分のやるべきことに向かえばいいのだ。

俺はまだ死にたくなんかない。
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by ynfoil | 2012-02-28 23:25 | 日記 | Comments(0)

2月18日

嗚呼、この懐かしい母校という場所での、あの頃の自分よりも数倍学べた気がするこの場所での、思っていたよりも居心地の良いこの場所での、滞在制作にそろそろ終止符を打たなければならない。いつまでも、居心地の良い温室にいてはいけない。充分な筋力がついたならば、外に出てサバイバルしていかなくちゃいけないのだ。

思い返せば、かつてもそうやって外に出た自分だったけれど、負け犬のようにこの懐かしく優しい場所へ逃げ帰って来たのだと思う。母校は、故郷と同じように優しい。かつて少々不真面目で、ヘラヘラしていたこの学生に対しても、母校は優しい。

その優しさに触れるのは、これが最初で最後だ。ひな鳥のような眼をして、自分を見る現役学生たちと語り合うのは、この先無いと思え。

もしもまた、先輩面して語り合いたいのならば、もっと先へ歩んでいかなくちゃいけない。あの頃のように、政府や公共の奨学金なんかの世話にならなくても、自分で道を切り開いて進んで行くのだ。今あるらしいところの地位や名声なんて、嘘っぱちの蜃気楼だ。先へ、まだ見ぬ先へ、この足で進んで行くのだ。眼の前にある自分の弱さと戦いながら進んで行くのだ。

そうだ、誰も助けちゃくれない実戦で、闘いながら人は強くなっていくのだ。

体を使って、体当たりのように塑像した半年に、その成果と心地よい疲労感に、満足してはいけない。後ろ髪引かれることなく、孤独の世界に戻り、再び自分と向かい合って、その対話を画面に定着させていかなければいけない。

それが、この自分が、この世界に生きてるってことの証明であり、遺言のようなものであるのだ。

そうなんだ。ひとりでやっていくんだ。ひとりで戦うのならば、失敗したっていいんだ。苦しみや楽しみを共有できる人々と一緒に失敗するよりも、自分一人で失敗するほうが立ち直りは早く、さらに厳しい道に進むことになるのだ。それでいいのだ。

そして、オーディエンスの期待は無視していいのだ。彼らを意識して、彼らのために作品を作ったとしても、それが彼らとわかり合えるということにはならない。自分は自分自身とわかり合わなければいけないのだ。その自分対自分の、取っ組み合いの戦い、どんな嫌な奴らの前であっても、誠実に自分を曝け出している戦い、鏡に映る自分との戦いこそが、彼らの眼を覚まさせて、彼ら自身を心の奥に歩ませるのだ。
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by ynfoil | 2012-02-18 04:38 | 長久手日記 | Comments(0)

2月13日

夏の横浜個展・・・

今回ばかりは 自信も何も ありはしない

けれども まだまだ道は続いていくのだし
  
そもそも ゴールがどこにあるかなんて わかんないのだから

途中の姿をさらけだすのも怖くはない 望むところだ。
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by ynfoil | 2012-02-13 03:28 | 長久手日記 | Comments(0)