奈良美智の日々

<   2011年 10月 ( 6 )   > この月の画像一覧

NOW AGAIN

いつから始まってるのか
いつ終わりがやってくるのか

夜がきても朝になっても
何も変わらないように息してる

決して戦うことのないような日常
陽は昇っては沈んでいく繰り返し


Hey!Hey! Let's Rock!


透明人間のように
通りを歩くこの僕は
人には見えてはいないのか

土曜の夜に浮かれる奴ら

恋愛ゲームの馬鹿げた番組

故郷の北風が懐かしい

上着をサッと羽織って
外の風にふかれるんだ

十代に見た夢を思い出し
目の前の蜃気楼に映ったら
怒ったように蹴り上げろ

やたらに成金趣味な
この世界に唾吐きかけて
怒ったように蹴り上げろ

やさしい顔で寄って来る
快楽主義のあいつらを
怒ったように蹴り上げろ

寂しくなったら自分に叫べ

「立つんだ!立つんだ!」
「立つんだ!立つんだ!」
「立つんだ!ジョー!」

Hey!Hey! Let's Rock! Let's Rock Again!
[PR]
by ynfoil | 2011-10-23 01:20 | 長久手日記 | Comments(0)

わかってたまるか!でも、わかろうとするべし!

少し制作に集中したら、何か芸術っぽいことを言ってみたり。
ちょっとライブに行くと、音楽についてしたり顔で語ったり。
映画をたくさん観たり、小説をたくさん読んだり、したようなふう。

まだまだ途中の人なのに、もう止めたりするわけじゃないのに。
わからないことは、まだまだたくさん山ほどあるのに。

わかったふうな事を言うなよ!自分!
自分に向けて言うだけでいいんだ!
いつまでも、わからない!って、呟け!自分!

『わかる』ために生きてるわけじゃないが。
『わかろう』とするために生きてる。

だから、一生わからないだろうけど(何が?www)
『わかる』より『わかろう』とすることのほうが、気持ちいい。

一生、気持ちよくありたい。
[PR]
by ynfoil | 2011-10-19 23:27 | 長久手日記 | Comments(0)

1か月半過ぎた・・・

母校にやって来て、学生に戻ったように制作して1カ月半。
同じ空間で一緒に制作している連中とも、コミュニケーションはバッチリ!

時々、みんなに手を貸してもらって、時々、みんなの作品に自分なりのアドバイス。
時間の差はあるのだけれど、それを越えて同じ空間で制作しているみんななんだ。

相も変わらず石彫場からは、カンカンと石を打つノミの音が響いてくる。
眼を閉じれば、入学したばっかりの杉戸や森北が、そこらを通り過ぎてく。
嗚呼、自分もピカピカの1年生で、先輩たちを威嚇するんだ。
学食前ですれ違う、ピアノ科のかわいいあの子の名前は知ってるぜ。

なんだか記憶も技術も作品も、戻り過ぎてるくらい初心者だ。
まぁ、いいや、そんな時期の自分もきちんと残しておかなきゃな。
あの頃は、すべて流れるように過ぎてって、何にも残っちゃいないんだから。
だから、今一度、あの時まで、あの頃まで、戻らせてくれないか。

そしたら、学べるだけ学んで、一足飛びに明日へ帰ってくるさ。

♪どうしたんだ?Hey!Hey!Baby!バッテリーはビンビンだぜ!♪
[PR]
by ynfoil | 2011-10-18 22:36 | 長久手日記 | Comments(0)

10月18日

進歩ってなんだろう?
自分は進歩してるんだろうか?
進歩したいんだろうか?
その過程がわかるように生きていたいんだろうか?

自然に時間が過ぎてゆく中で、意識するしないに関係なく、気がつけばちょこっと昨日よりも先に進んでることに気付く時、なんか、昨日よりも先に進んだとか感じたりする時、少しは幸せな気がするのだろうか?

そんなの自己満足の度合いのパーセンテージじゃないか。ましてや他人に判断されることでもない。所詮、考えるべきことじゃない。昨日よりも少しでも遠くに行きたいと思うこと。それだけでいいんだ。
[PR]
by ynfoil | 2011-10-18 22:30 | 長久手日記 | Comments(0)

浅瀬


今、この手元にある粘土の塊から、おぼろげに見える向こう岸。なんだか、大きな川を渡っている気分。水深は決して深くはないが、無遠慮に長々と続く浅瀬を歩いているようだ。深い深い水たまりから、延々と続く浅瀬にテレポーテーション。
[PR]
by ynfoil | 2011-10-08 03:43 | 長久手日記 | Comments(0)

High, Low and in Between

震災を体験してから、安穏な自由さから自然脱皮して、野良で生きている犬猫のように存在自体への危機感を肌で感じ、それを問うことで今までの足跡の大方をキオツケするように反省していた。その反省の中で、まったく地に足がつかない状態で制作していたように思う。しかしながら、やっと来年の個展の展示ヴィジョンがクリアに見え出してきた。自分らしくない禁欲的な真面目さに、ちょっと縛られすぎてたな。そう気付くことで、過去の自分を越えるような意識で制作する心構えは持てた。先へ進む、というよりも、今再び学生のように学ぶところから、何かしら己の個性を開拓できるのではないだろうか。二歩戻ってから三歩進む感じ。自分は明らかに、以前よりも鷹揚な意識を持つことが出来てきた気がしている。

古典やアカデミックな美術が好きで、近代の美術も好きだ。己の悩み出ずるところから生まれる芸術も、造形理論を追求するところから生まれる美術も好きだ。ただ、全てを受け入れ好いているわけじゃない。ごちゃまぜの次元の中に存在している中で、良いものは良いのだ。そして、良くないものは良くないのだ。その基準は美術史や博物館学的な観点からではなく、個人的な思考と造形論的な視点からだが、それでいいのだ!考え、手を動かすのは自分なのだから、それでいいのだ!ごちゃごちゃ言う人は、言ってればいいのだ。

肌で感じ、思考し、制作することもせずに、机上でテキストを書いている、賢くも言葉の中で思考し感じている人にはわからないものなのだ。「幼児的な欲望の稚拙な垂れ流し」だとか「小汚い白痴的な絵」だとか僕を批判、というよりも、論ずることすら無駄と、批評家自らが稚拙な屈辱的単語を垂れ流すよう使って貶すことに終始した(かくも幼稚なる「現代美術」『ボイス』2001年10月号)浅田彰という人は、絵を描く苦しさや楽しさなんてわかるはずがないのだ。否、そういう感情すら持ち合わせていないのだろう。学者というサークルのお山のてっぺんに座っているだけのように、僕には映る。てっぺんにいるから、偉いことは偉いのだ。きっと一生偉いのだ。そんな偉い人は、絵を描くことも、おおらかに詩を詠うことも出来ないじゃないか。つうか、何でも自分の想定内の机上論者だよなぁ。そんな人なんて、もうどうでもいいや~。

そんな偉い人の著作を、あの屈辱的な言葉を投げつけられた日に、僕は古本屋に売ることも、資源ゴミとして出すこともせず、ただ火をおこし焼いた。自分が興味を持って買った本を焼くなんて、気持ち良いわけはないはずなのだけど、めっちゃスカッとした。それ以来、ほんとに、もうどうでもいいや~。

来年の個展のタイトルを決めて欲しいと美術館側から言われ、あれこれ考えていたのだけど、浅田の本を焼いている時を思い出したら、ポッと浮かんだ。

『High, Low and in Between』・・・なんか、ポッと浮かんだそのまんまなんだけど。

人里離れた森の中にいて、あるいは街角で立ち止り、感じ考えたりしている自分。そしてまた歩きながら考えたり、絵を描いたりしている自分。賢そうな人たちと会話して知ったかぶる自分、無知の知を知る子供たちと話し合い笑ったりする自分。美術史は好きな学問で習うのも自習するのも好きだし、学校のテストで良い点を取る自信もある自分。そして、とってもマイナーなオタク的音楽嗜好の話や、完全懲悪なディズニーアニメも、皮肉なイソップ童話も好きな自分。嗚呼、ラ・フォンテーヌ!

そう、何かはっきりとポジションを決めて生きるなんてまっぴらだ。そんな自分ならば、そこから生まれるものたちは、時に崇高で時に下世話、時にポップで時にマイナー、あるいはその真ん中あたりをアベレージなく漂うふうな意識。それでいいじゃないか。それで、いい。それが、いい。

人の生き方にケチをつけんなよ。オーディエンスはお前じゃない。見んで栗。つうか、いろいろ言っといて見てたら笑うけど・・・
[PR]
by ynfoil | 2011-10-02 05:47 | 長久手日記 | Comments(0)