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奈良美智の日々

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9月27日

ふと顔を上げて、辺りを見渡せば誰かが制作していて、声をかければ手伝ってくれる。1年生から大学院、博士課程の学生まで・・・というか、僕にこの制作環境を提供してくれた森北准教授まで、手伝ってくれる。

母校とは良いものだ。僕は再び、ここに戻って来て、気持ちだけは学生時代にタイムスリップしながらも、明日を見据えて制作している。少しでも学生たちの手本になるように制作する姿勢をみせたいと思っているのだけれど、その姿勢においては彼らと大差はないんだな、これが・・・

何もはっきりとしたものは見えてはいないし、さりとて見たもの感じたものが、速攻で血や肉になるわけじゃない。しかしながら、それがこの体の血や肉となって、この手から生み出されることが、自分にとっては意味あることなのだ。

その表出を求める葛藤はまだまだ続くのだろうし、個展のためには葛藤の中で生み出された形の定まっていないものでさえ、ひとつの答えのように展示することになるのだろう。それは仕方がないことだ、それ自体に後悔や後ろめたさを感じることなんてないだろう。ただ、まだまだ時間があるうちから僕は思う、もっと時間が欲しいと思う。制作するための時間ではない。少しでも考えをまとめ上げる時間。思考の中から不純物が濾過されていく時間。わが身の血となり肉となっていく時間。

今まで描いてきた絵の、まだ見ぬ延長線上に現れるものに対して、その描き方や色や構図法や精神性は絶対に覆ることはない。それらは僕の心の中から、実態である体を使って生み出されたものであって、どこそこからの借り物なんかではないからだ。だから僕は自分の作品たちを信頼したし、作品がメジャーになるにつれて、この世の中に自分と似たような絵が現れても気にしなかった。

これから少しずつ北風は強くなって、あっと言う間に秋は過ぎ去って冬がやってくる。僕はとにかく手を動かし、頭の中を動かして制作し続けるのだ。

「がんばっぺ!」
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by ynfoil | 2011-09-28 01:12 | 長久手日記 | Comments(0)

Let's something again! anything again!

去年の今頃、来年の横浜個展のタイトルはすでに決まっていた・・・『Let’s Rock Again!』。粗く、大雑把で、力でもって絵や立体をねじ伏せていくような感じ。「Let’s Rock Again!」そう叫んで、脇目もふらずに制作に向かっていけばいいと思っていた。荒々しく、徹夜で1枚仕上げていく感じ。Rockなドローイングをがんがん描きまくって朝を迎える感じ・・・だった。

しかし、そのタイトルは3月11日の震災を境に過去のものとなってしまった。大好きなロック・ミュージック以前から在る自分の感性に、探求のAgainを求めなければならなくなった。それは思っているよりも、過去への旅路を余儀なくされ、深い深い水たまりの底へ逆行していかなければならない。そう思う理由は、言葉では上手く説明できそうにない。

なんとなく思い浮かぶ例をとれば・・・ジャズ界の巨匠チャーリー・ミンガスが死をむかえる時に、ラジオからふと流れたある曲に対して「この曲こそが、自分が目指していた音楽そのものだ」というようなことを言った話が近いかもしれない。その曲とは、確かドボルザークの弦楽四重奏だったと思うのだが、あいにく僕はまだまだ、ずっとずっとRockが好きだろう。だがしかし、音楽ではなく美術である。僕はミュージシャンではないのだ。

今、おぼろげながらも挑戦したいのは、Rockが生まれる直前の感覚、感情の高まりや鎮静、赤く燃える炎ではなく、実は赤よりも高温の青白く燃えるような炎の表現なのだろう。

それは、少なくとも頭の悪い僕には、考えたりじっと画面とにらめっこしている絵画制作ではなかなか獲得できない表現だ。体を使って取り組む大きな塑像こそが答えの在る方向へ導いてくれる気がしているのだ。

かつて、グループで小屋を作りインスタレーションを展開していく中で、失われかけていた個人としての制作を取り戻すために、この手でもって粘土を使いセラミック彫刻を制作したように、僕は今再び、新たなタイトルを獲得するために塑像に取り組み始めているのだ。まずは塑像。その後で、自然に絵画に移行できるものと思っている。僕にとって絵を描くことは、力技や理屈や気力だけでは成り立たない。勝ち負けのある戦いでもない。むしろ、それ以外のきわめて凡庸な感情が基盤になっていると思うのだ。

しかしながら、塑像制作においての基礎的な技術は踏まえることは大前提で、そこから一体、どんなふうな展開をしていくのかは自分にさっぱりもわからない。ただ心の赴くところに向かって進むだけだ。決して安易な方法は取ってはいないという確信はある。嘘の無い気持ちで制作に向かうべし!

きっと思ってることの半分も表現できず、力尽きるとは思う。創造することとは、いつだってそういうことだと思っている。でもまぁ、真っ白になるまで行ってみようじゃないか!あしたのジョーがヒーローだったじゃないか!
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by ynfoil | 2011-09-16 22:55 | 長久手日記 | Comments(0)

9月6日


今日のお昼は、学食でカツカレー。まだ夏休み中なのでメニューは少ないけど、テーブルはだいたい埋まっている。森北と外のベンチで食べる。眼の前に広がる芝生と木々と、その向こうに見える講義棟は昔にタイムスリップさせる。僕は4年生で、卒業制作に何を描こうかと考えているみたいな・・・。けれども、あの頃に比べて大きく育った木々や、通り過ぎる学生たちのちょっと洒落た服装が、過去は過去だとおしえてくれる。

今回の滞在の目的は、来年開催する個展に出品する立体作品の制作で慣れない塑像をしている。過去に多用したERPや木による立体は、全てカービング、削ぎ落としていく方法だったが、塑像は真逆のモデリング、付け加えていくことがメインの方法だ。もちろん、粘土を大きく付けてから削ることも出来るのだが、基本は何も無いところから量を増やして形にしていかなければならない。自分が不得意とする方法なのだな・・・これが・・・。

マケット的な小品を4つ作ったが、どれも技術的にはイマイチで泣けてくる。

あの大きな震災の後、自分の中で美術作品と呼ばれるものへの価値観が、自分自身うまく説明は出来ないがかなり変わったようで、それなりに形を持って表出されていくのには時間がかかるのはあたりまえで、それを現在進行形で悩んだり失敗したりしながら、まだまだ見えない自身に対する答案を書いている現状だ・・・OMG!
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by ynfoil | 2011-09-06 23:02 | 長久手日記 | Comments(0)

9月4日

愛知県立芸術大学という大学に来ている。来ているというか滞在している。学校の宿舎に住み、アトリエで制作している。レジデンスプログラムというやつで、今までは海外の作家ばかりだったのだけど、別に日本人でも良いとのことで、卒業生である自分が推薦されてレジデンスすることになったのだ。

まだまだ暑い9月1日、僕の愛知生活は始まった。夏休み中にも関わらず制作している学生がチラホラ・・・。美大や芸大が他の大学と異なるのは、入学以前にやりたい事が明らかであり、入学後もそれに没頭できることだろう。特に絵や彫刻は、広くて汚れてもいいような制作場所が必要で、それゆえ学生は休みでも制作しにやってくる。

僕が使っているアトリエは、全科共通で使える大工房なのだけど、ほとんど彫刻科の学生が使っている。僕の隣では大学院生が2人、なにやら作業している。そうそう、自分も今回は彫刻作品を作るのが目的だ。

いろいろと手伝ってくれるアシスタントのような学生もいるし・・・アシスタントと言っても、付きっきりで手伝うわけではなく、彼らは彼らの作業をしているわけで、何か手が必要な時に声をかけて手伝ってもらうだけなので、こっちも自分のペースでやれる。ふと周りを見渡す時、それぞれに作業に没頭している光景は気持ち良い。僕は人に見られながらの制作は苦手で、公開制作なんて絶対無理なのだけれど、こうしてみんながそれぞれに制作している空間では見られていると感じることもなく、逆にみんながいることが励みになったして没頭できる。作業に対する入り込みや真剣さは、年齢や経験には比例しない。だから、そこに漂う緊張感は自分に喝を入れてくれるものでもある。趣味の教室のように、みんなでわいわい楽しくやるような雰囲気だったら、ここに来た意味はない。やりたいことを学び、将来それを職業にしようとする学生たちは、その厳しさと奥深さを知っている。

僕を呼んでくれたのは森北准教授で、彼が高校生の時に通った美大予備校の先生が僕だったという長い付き合い。ここでは彼が学校や学生との橋渡しをしてくれている・・・と言うか、森北も手伝ってくれる。心強いなぁ~。

そんなふうに、なんか良い感じで滞在制作は始まったのであった・・・
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by ynfoil | 2011-09-04 22:09 | 長久手日記 | Comments(0)