「ほっ」と。キャンペーン

奈良美智の日々

<   2011年 03月 ( 3 )   > この月の画像一覧

去年、アメリカのアート雑誌だったか新聞だったか・・・のQ&A

インタヴュー自体は去年の暮れ頃だと思うけど、心の声を(かっこ)で追加してみた。

1. Much has been made about your art being about your own unhappy childhood; you have said they are largely self-portraits. Why are your subjects primarily girls?
作品は不幸せであった幼少時代を表しているものだという話は良く聞きます。作品の大体は自画像だ、と奈良さんはおっしゃいましたね。なぜほとんどの被写体は女の子なのですか?


まず、僕の子ども時代が不幸だったと自分自身で思ったことはありません。ひとり遊びが得意で、動物たちとも話が出来、空想力や想像力に富んでいたと思います。大人の眼には寂しそうに映っても、その被写体が寂しいと感じているかどうかは疑わしいものです。僕がよく言うのは「他者から見れば、孤独に映るような子ども時代」であって、自分にとっては、毎日友だちと遊ぶよりも、必然的に内なる自分と会話し、感性を育んだ子ども時代です。また、方法論ではなく感性に沿って生み出される作品はすべて自画像といえるのではないでしょうか?人は見かけで物事を判断しようとする傾向があります。そのような人には描かれているものが「女の子」に見えるのでしょう。僕自身は、女の子を描いている意識はないし、男の子でもなく動物でもない。あえて(僕の嫌いな)カテゴライズすれば、「中性的であるところの子ども」と言えます。つまり、僕は「女の子を描こう!」と思って作画したことはありません。

(んなこと、ど~でもいいだろ~。自画像が女の子だと変なのか?心の自画像だってばぁ~。似てないと自画像って言っちゃダメなんかよう?)



2. Can you describe your work process? How, for example, did you come to make "White Ghost" for Park Avenue? Were you more concerned with the physical site, or did the street's storied wealth and status come into play for you?
制作過程を説明してください。例えば、どのようにパーク・アベニューの「White Ghost」をつくられたのでしょうか?物理的サイトを重視していましたが?この道路の名高い富や地位などは関与したでしょうか?



歴史的に見た場所については特別に考えていませんでした。道路の幅と設置される花壇の幅との対比に対してのモニュメントの高さを物理的に考えました。また、ビルに囲まれて交通量も多いごちゃごちゃした都会の道路に設置するとのことで、色もフォームもシンプルにしたつもりです。目玉が無いのもそんな理由です。意味的な場所との関わりや、何かを見つめる・・・みたいなことから遠ざかって、幽霊のような不確かな存在にしたかったのです。

(あ~説明するのかったりぃ~~~。フィーリングだ!フィーリング!)

3. How does music influence your work?
音楽はどのように作品を影響しているでしょうか?


それは、秘密です。が、わかる人にはわかる暗号のような形で反映されています。音楽を愛する人にのみ答えたいので、ここでは言いません。

(秘密でいいじゃん!)

4. Roberta Smith of The New York Times compared your show at the Asia Society to a village. Was that your goal?
ニューヨーク・タイムズのロベルタ・スミス氏はアジア・ソサエティーの個展を「村」に例えていました。これが奈良さんの目的でしたか?


僕にとって彼女の批評は、とても新鮮であり、うまく物事を説明できない(それゆえ絵を描く)自分の想いと、作品から派生する事象を正確に言葉に置き換えてくれました。しかしながら、展覧会自体に対して僕は目的意識を持ちません。彼女が「村」に例えたのは僕への配慮ではなく、オーディエンスへの配慮です。

(自分は目的なく作ってるんだってばぁ。自然に出来てきて、そうなっていくんだってばぁ。でも、ロベルタがすごく良く書いてくれてうれしかった超。「美術だけじゃなくてロックも勉強しなきゃ」って彼女言ってた。抽象表現主義が専門で、NYでの最初の個展の時から、絵の内容よりも画面の見え方について書いてくれてた。旦那さんも有名な評論家だけど、作家にとっては彼女の書く評論の方が染みるはずだ!と僕は思ってる。)

5. You started as a painter. What drew you into sculpture and installation?
元々は画家でしたね。なぜスカルプチャーやインスタレーションに興味を持ったのですか?

もともとは画家でもありませんでした。立て続けに絵を見せれば人は『画家』と言い、スカルプチャーを発表すれば『彫刻家』といいます。人はどうしてカテゴライズしたがるのか不思議です。

(・・・絵本作家でもあるぜ!そう思ったことはないけど。)


6. Why do you blog and twitter?
なぜブログや Twitter を書いているんですか?


わかりません。ブログはあんまり興味がないので更新の速度が遅いです。Twitterは誰もが始めるのと同じ理由でしょう・・・どんな理由かわかりませんが、みんな理由なく始めてるんじゃないかな?つぶやいてみたい・・・と。

(こうして、心の声を言えるからだ!)



7. Many artists are weary of achieving a certain kind of celebrity, but you seem to actively court your fans. Why?
多くのアーティストはあるタイプのセレブになる事を警戒していますが、奈良さんは積極的にファンを招いているようですね。これはなぜですか?


わかりません。けれども僕は自分から宣伝するようなことはしない主義です。実際、ここ5年間で僕のスタジオへの取材は全て断っています。Twitterではつぶやきますが、自分のいるべき場所は知っているつもりです。

(記者やジャーナリストや仕事で出会う人たちよりも、純粋に作品を観に来てくれる人たちが大切で、ストレスためながら取材受けるより、自由に発言できるし、届くからだ!)


8. You said recently that you did all the real work at the Armory before your fans were allowed in each day at 4 pm. If that was the case, why did you have the "open studio"?
最近の発言で、ファンの方がアーモリーに来る4時の前に本当の作業をしていたとおっしゃいましたね。そうならば、なぜ「オープン・スタジオ」をしたのですか?


『オープンスタジオ』とは作業する場所を見せることであって、作業する姿をみせることではないと思っているからです。人に見られて作業に没頭できるほど自分はプロフェッショナルではありません。オープンスタジオは美術館側からの提案であり、美術館内では規則のため大工仕事が出来ないので、アーモリーを使わなければいけませんでした。アーモリーを使用する代償としてのオープンスタジオでした。

(嫌だったけど、ほんとに観たい人たちも来てくれたと思うから、やってよかったけど・・・)


9. Why do you think most American and European artists are hesitant to do commercial projects, fearing that they will be seen as selling out, but you make all kinds of merchandise?
奈良さんは多くの商品をつくられますが、アメリカやヨーロッパのアーティストの大半は商業的な企画に対して、「セルアウト」(裏切り者)になることを恐れてためらいます。これはなぜだと思いますか?


僕は自分を裏切り者だとは思ってもいないし、自分がやりたいものだけを選んできたつもりです。有名な企業やデザイナーからのオファーは「有名」ということで断っています。また、たくさんのアーティストの作品イメージを使ってグッズを作りまくっている業者とも仕事はしませんし、特定の企業のためのCMに使われることも断ります。しかし、中国などでフェイクのグッズがたくさん生産されているので、質問された方はそれも僕のグッズだと思っているのでは?そして、いつも不思議がられるのですが、今まで一度もそのような業者を訴えたことがありません。自分の本業は、あくまでも絵を描くことです。その絵の制作に妥協するようになった時こそ、絵を裏切った正真正銘の「裏切り者」になるはずです。

(実際の話、グッズや画集がバカ売れしても、森子が売れて得る収入のほうが、めっっっちゃ多いのだ!でも、本物の作品を買えないほんとのファンのためにグッズや本を作るのだ!本物買っても、倉庫に眠らせたまんまだったり、高くなったら売ったりするような人たちよりも、ほんとに好きな人たちの本棚に自分の画集があるほうが、目には見えない本物を買ってもらってる気がする)


10. Do you think critics who call your work "cute" are missing the point? Do you see your work as dark?
奈良さんの作品を「かわいい」(cute)と呼ぶ評論家は全く理解していないと思いますか?自分では作品をダークだと思っていますか?


作品はダークでもありCuteな部分もあり、たくさんの感情や印象の複合体です。表面の奥底まで、たくさんのレイヤーがあり、どこまでレイヤーが見えるか、ということを僕は言ったつもりです。かつて「難解」と言われた現代絵画から「難解」と言われる部分をわかりやすくした時、いくつかのフィギアティヴな絵画の傾向が生まれました。そのひとつの表現が「Cute」という言葉と共にズームアップされてきました。「Cute」という言葉を、ひとつの潮流、あるいは文化全体を覆うレッテルとして定着させてしまったのは、批評する側のボキャブラリーの不足にあった、ということを言いたいのです。それはまたオーディエンスにも言えることであり、安易な解釈でシーンに入って行ったアーティストにも言えることです。

(そうそう!ちゃんと答えてる自分・・・)

11. Are you concerned your work is too accessible? Is there such a thing?
自分の作品が観客にとって身近過ぎる、分かりやす過ぎることを心配しますか?芸術に「身近過ぎる」、「分かりや過ぎる」ということはあるのでしょうか?


人は成長とともに鑑賞する眼も変化していきます。昨日見えたものと違うものが作品から感じられるようになったりします。それは歌や小説、映画など人による表現行為すべてに言えることです。「身近すぎる」「わかりやすすぎる」と思われても、それはその時だけの印象にすぎないと思っています。

(それは僕じゃなくて、オーディエンスがそれぞれに思って決めること!自分は知らん!)

    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

こうして(心の声)とかあると、インタヴューとか苦手で、めっちゃ疲れるのわかってもらえるだろうか・・・

10年以上前、友だちに「雑誌やなんか、メディアに載りたくても載れない人がいるのに、苦手だ、嫌だ、で断るのは失礼だ!」と叱られたことがあった。でも、僕は雑誌に載りたい!と思ってないから苦手なのだ。目的が雑誌に載ることだったら、喜んで、頼んででも取材を受ける!もう良い服着て何でもやっちゃう!・・・でも、僕がこの世に生きていて制作している目的は絶対にそんなことではないのだ。

・・・けど、あおいちゃん(宮崎)や多部ちゃんに会えるってので引き受けることは・・・あるな・・・対談がきっかけでマブダチも出来たしな・・・草間さんも対談で初めて会ったんだよなぁ・・・ある意味、感謝しなきゃいけない!実際いろんなオファー来てるんだけど・・・小山さんやはまちゃんが断ってくれてるんだよなぁ・・・草間さんとの対談も来てたなぁ。頼まれた方が「奈良さんと草間さんが対談したらどうなるのか!って思ってオファーしました!」・・・って、前にすでにやってるんだよなぁ。リサーチしてんのかな?やる気あんのかな?

でも!草間さんに久しぶりに会いたい!小山さん、やってもいいかな?いいよね?
[PR]
by ynfoil | 2011-03-11 03:32 | art | Comments(0)

若き日・・・音楽と絵と学生生活と・・・

・・・レゾネに載せるために書いたテキストの抜粋・・・

・・・前略・・・
[Omitted]

・・・子どもの頃に聴いていた米軍のラジオ放送、言葉の意味はわからないけれども、スピーカーから流れ出る音楽のメロディやリズム、そのサウンドが僕を引きつけていた。中学生の頃にはいっぱしの音楽評論家のように友だちとロックを語るようになり、高校の門をくぐる頃にはロック喫茶やライブハウスにたむろするようになっていた。当時、そんな僕らは社会的にはまったくのマイノリティで、世間では不良と呼ばれていたのだけれども、ちょっと年上の仲間たちは、酒を飲み煙草を吸いながら、僕の知らない映画や文学の話を夜が更けるまでしてくれたのだ。もしも夜の学生街が学校であったなら、僕はきっと成績優秀な優等生だっただろう。

As a kid listening to U.S. armed-forces radio, I had no idea what the lyrics meant, but I loved the melody and rhythm of the music. In junior high school, my friends and I were already discussing rock and roll like credible music critics, and by the time I started high school, I was hanging out in rock coffee shops and going to live shows. We may have been a small group of social outcasts, but the older kids, who smoked cigarettes and drank, talked to us all night long about movies they’d seen or books they’d read. If the nighttime student quarter had been the school, I’m sure I would have been a straight-A student.

・・・しかしながら80年代、故郷を離れて美術学校に通うようになった美術学生時代の僕はきっと優等生ではなかったろう。模範になる学生とは、それぞれの専攻にたいしての好奇心を集中させ、いわば研究者のように学ぶ姿勢を持つものだ。部屋の本棚には専攻に関する書物があふれ、アトリエでは制作に明け暮れ、夜ともなれば、過去や現在の美術を仲間と語り、お互いに批評し合ったりする日々を過ごし、学生時代から新たな潮流を作りだそうとするような。そんな模範的な学生に僕は程遠く、夢を見るような野心すら持ち合わせていなかった。日本での学生時代に描いた絵は与えられた課題作品がほとんどで、後はドローイングと呼ぶにはひとりよがりな落書きのような絵を、ノートやスケッチブック、包装紙なんかに描きまくっていた。

In the 80s, I left my hometown to attend art school, where I was anything but an honors student. There, a model student was one who brought a researcher’s focus to the work at hand. Your bookshelves were stacked with catalogues and reference materials. When you weren’t working away in your studio, you were meeting with like-minded classmates to discuss art past and present, including your own. You were hoping to set new trends in motion. Wholly lacking any grand ambition, I fell well short of this model, with most of my paintings done to satisfy class assignments. I was, however, filling every one of my notebooks, sketchbooks, and scraps of wrapping paper with crazy, graffiti-like drawings.

・・・若き日の、今の自分から見れば眩しいようなエネルギーは一体どこへ消えていったのだろうか。アルバイトしては、画材や画集を買うでもなく大好きなレコードを買う。映画やライブに行く。ガールフレンドと一緒にいる。ひとりよがりな落書きを紙に描く。真夜中に電気の付いている誰かの下宿を襲撃する。僕の若き情熱は学校のアトリエの外で蒸発していったのだろう。でも、先生から褒められたり、その才能をきらめかせてデヴューしていく人たちを羨ましいと思わなかったわけではない。いや、羨ましかったというのはちょっと違うなぁ。なんだか自分とは別世界の人たちのような気がしていたのだ。僕の青春期のエネルギーは、煙草の煙となって吐き出され、スピーカーから流れるロックミュージックと共に、空に吸い込まれていったのだろう。

Looking back on my younger days—Where did where all that sparkling energy go? I used the money from part-time jobs to buy record albums instead of art supplies and catalogues. I went to movies and concerts, hung out with my girlfriend, did funky drawings on paper, and made midnight raids on friends whose boarding-room lights still happened to be on. I spent the passions of my student days outside the school studio. This is not to say I wasn’t envious of the kids who earned the teachers’ praise or who debuted their talents in early exhibitions. Maybe envy is the wrong word. I guess I had the feeling that we were living in separate worlds. Like puffs of cigarette smoke or the rock songs from my speaker, my adolescent energies all vanished in the sky.

・・・僕の通った美大は田畑に囲まれた郊外にあって、実際にアクティブなアートシーンがそこにあったわけでもなく、テレビや映画を観るようにアートの世界はどこか知らない世界にあるものだと思っていたし、なにか西洋の文脈で語られるアート自体にリアリティを持つこともできなかったのだ。もちろん、都会に憧れない若者はいないように、ふまじめな学生ではあったけれども、この世のどこかに存在するアートシーンとやらを眩しく見ていたには違いない。そのようなアートシーンに憧れながらも、そこに登場する権利が自分にはないと確実に思い込んでいた。典型的な地方の劣等生だ。

Being outside the city and surrounded by rice fields, my art school had no art scene to speak of—I imagined the art world existing in some unknown dimension, like that of TV or the movies. At the time, art could only be discussed in a Western context, and, therefore, seemed unreal. But just as every country kid dreams of life in the big city, this shaky art-school student had visions of the dazzling, far-off realm of contemporary art. Along with this yearning was an equally strong belief that I didn’t deserve admittance to such a world. A typical provincial underachiever!

・・・それでも僕は、絵を描くことが好きだった。落書きのようなドローイングは毎日のように描かれ、誰にも見せることなくどんどんたまっていった。それらは必然的に日記のようにその日の感情に任せて描かれ、時には過去の思い出も交差したもので、自分的日常という小さな世界から想像力を喚起させ、イメージとして発展させ定着するという、良いトレーニングになったのだろうと思う。しかし、そのイメージの数々を紙からキャンバスに移し、定着するという作業にはまったくたどり着けてはいなかった。

I did, however, love to draw every day and the scrawled sketches, never shown to anybody, started piling up. Like journal entries reflecting the events of each day, they sometimes intersected memories from the past. My little everyday world became a trigger for the imagination, and I learned to develop and capture the imagery that arose. I was, however, still a long way off from being able to translate those countless images from paper to canvas.

・・・空想すること、想像することでイメージを得ること。感じることでそれを確信すること。それは集めていたレコードを聴くことでもそうだった。まだインターネットなんてない時代で音楽雑誌も2、3種類しかなく、情報量は圧倒的に少なかったし、僕が買っていたレコードは輸入盤が多く、解説書はもちろん歌詞カードすら付いていないものがほとんどだった。さらに、どんなに音楽を好きな気持ちがあっても、非英語圏に住んでいるために、歌詞内容の把握がうまく出来ないという悲しい事実があった。それは宗教感の違いや、音楽自体を取り囲む社会やサブカルチャーの違い、体が反応するビートの違いでもあったのだけれども、僕は自分が愛する音楽を聴き続けた。12インチのLPレコードを包み込んでいるレコードジャケットを飽きることなく隅から隅まで見続けながら、体に詩と音を取り込んでいたのだ。それは現在のように情報過多の中にあって、いかにそこから選び抜くのかではなく、少ない情報からいかに感受性を働かせて想像し確信するかということだった。ひとつの言葉、ひとつのメロディ、ギターのリフやリズムを刻むドラムとベースの音、そしてジャケットのヴィジュアルからインスパイアーされ、頭の中に生み出されていく新たなイメージ。それを僕は、鉛筆を持った右手で紙に描き連ねていったのだ。上手いとか下手だとか、そんな判断では語れない意思を持ったイメージは、紙きれの上では自由でフレンドリーに見えた。

Visions come to us through daydreams and fantasies. Our emotional reaction towards these images makes them real. Listening to my record collection gave me a similar experience. Before the Internet, the precious little information that did exist was to be found in the two or three music magazines available. Most of my records were imported—no liner notes or lyric sheets in Japanese. No matter how much I liked the music, living in a non-English speaking world sadly meant limited access to the meaning of the lyrics. The music came from a land of societal, religious, and subcultural sensibilities apart from my own, where people moved their bodies to it in a different rhythm. But that didn’t stop me from loving it. I never got tired of poring over every inch of the record jackets on my 12-inch vinyl LPs. I took the sounds and verses into my body. Amidst today’s superabundance of information, choosing music is about how best to single out the right album. For me, it was about making the most use of scant information to sharpen my sensibilities, imagination, and conviction. It might be one verse, melody, guitar riff, rhythmic drum beat or bass line, or record jacket that would inspire me and conjure up fresh imagery. Then, with pencil in hand, I would draw these images on paper, one after the other. Beyond good or bad, the pictures had a will of their own, inhabiting the torn pages with freedom and friendliness.

・・・僕の絵が意思を持ち、ドローイングに描いた世界に近づくのは大学を卒業する頃だ。誰とも比較されることのないような私的世界を、ドローイングのように軽やかとはいかないけれども、下描きもアイディアスケッチも無しに、心の中に浮かぶ気持ちを大切にして、描いたり消したりをなんとか自由に出来るようになってきていて、漠然とではあるのだが、自分の描き方というものが確立されてきたような実感を持ち始めていた。しかし、そこに一生描き続けていくというような決意も意思表明も見いだせてはいなかった。

By the time I graduated from university, my painting began to approach the independence of my drawing. As a means for me to represent a world that was mine and mine alone, the paintings may not have been as nimble as the drawings, but I did them without any preliminary sketching. Prizing feelings that arose as I worked, I just kept painting and over-painting until I gained a certain freedom and the sense, though vague at the time, that I had established a singular way of putting images onto canvas. Yet, I hadn’t reached the point where I could declare that I would paint for the rest of my life.

・・・大学を卒業し、大学院に進んだ僕はアルバイトで美大進学を希望する人のための予備校講師をすることになる。講師として生徒たちにおしえるということで、美術的な物の見方や作画するうえでの構成術はもちろん、自分が頭や心で考えていたことも言語化しなければいけなかった。その体験は僕を大きく成長させたと思っている。今思うと、それは自分自身が在るということの再確認でもあったのだが、新鮮な10代の学生たちに接することで感性をリフレッシュすることもできたのだ。

After receiving my undergraduate degree, I entered the graduate school of my university and got a part-time job teaching at an art yobiko—a prep school for students seeking entrance to an art college. As an instructor, training students how to look at and compose things artistically, meant that I also had to learn how to verbalize my thoughts and feelings. This significant growth experience not only allowed me to take stock of my life at the time, but also provided a refreshing opportunity to connect with teenage hearts and minds.

・・・そうだ、理想論。当たり前だけれども、生徒たちを前にしての話は作家としての理想論になっていく。それは、まだ作家としての自意識を持てないでいた自分を苦しめた。生徒たちに慕われれば慕われるほどに、理想論を語る自分は、先生という名の仮面をかぶった作家の出来そこないだった。美大を卒業してからも講師の仕事は続き、美大を目指す生徒たちに道を説く自分は、自分が語るそのままに、自分こそが学生として学ばなければならないのではないかと思うようになってしまった。そして、今こそ本来の意味での美術学生になる時だという思いは強くなり、ドイツに渡って勉強するのだと決意する。長く住みなれた街を離れて旅立つ日、駅のプラットフォームにはたくさんの生徒たちが見送りに来てくれた。

And idealism! Talking to groups of art students, I naturally found myself describing the ideals of an artist. A painful experience for me—I still had no sense of myself as an artist. The more the students showed their affection for me, the more I felt like a failed artist masquerading as a sensei (teacher). After completing my graduate studies, I kept working as a yobiko instructor. And in telling students about the path to becoming an artist, I began to realize that I was still a student myself, with many things yet to learn. I felt that I needed to become a true art student. I decided to study in Germany. The day I left the city where I had long lived, many of my students appeared on the platform to see me off.


・・・中略・・・
[Omitted]

・・・僕は、内省的な歌う詩人達から深い感受性を学び、その後に出会ったパンクロックから爆発するような表現性を学んだのではないだろうか。

After contemplative folk singers taught me about deep empathy, the punk rockers schooled me in explosive expression.



・・・後略・・・
[Omitted]
[PR]
by ynfoil | 2011-03-10 01:31 | art | Comments(0)

Ceramic Review

イギリスの雑誌『Ceramic Review』誌からの質問と僕の答えを抜粋。


1) When did you start working with ceramics and why? What interested you about the medium?
1)いつ頃からセラミックで制作を始められたのですが?また、その理由もお伺いできればと思います。
2) When did you start working at Shigaraki Ceramic Cultural Park? Please tell us about the experience working there.
2)いつから陶芸の森で制作をされるようになったのでしょうか? レジデンス・アーティスト
としてそこでの生活や経験など教えて頂けますか。


僕が初めて『陶芸』というか、粘土で作ったものを焼成して作品化したのは2007年の夏で、場所は陶芸の森でした。実は、その以前から陶芸の森でのレジデンス・アーティストのオファーを受けていましたが、それまでアーティスト・イン・レジデンスのようなプログラムに参加したことがなく、しかも絵画が専門の自分にとって『陶芸』というものはピンとこなかったので、お断りの返事をしていました。しかし、2006年秋から翌年の春まで、金沢21世紀美術館で個展をした際に、滞在制作を始めて経験したのですが、とても新鮮で楽しかったのです。現地で出会ったボランティアたちと大きな犬のぬいぐるみを作ったり、一緒に晩御飯を食べて語り合ったり、ライブを企画したりと、絵を描く以外のことが自分を少し成長させてくれた気がしました。そういうわけで、陶芸の森からのオファーを受けることにしたのは、「陶芸がしたい!」というよりは、いつも制作している場所ではないところに行き、そこで出会う人々を触媒として自分がもっと成長できるのでは、という期待と、絵を描く以外の自分の未知な部分を知りたかったのです。

実際、陶芸の森での滞在は新しい自分を発見させてくれたし、今まで一人で制作してきた自分に人と関わることの楽しさ、素晴らしさをおしえてくれました。自分よりも若い作家、年上の作家、日本だけだはなく色々な国から来ている作家たち。日中は、それぞれがそれぞれのペースで制作に没頭するのだけれど、夜はみんなでわいわい言いながら、一緒に料理をして食べる。飲んで語り合ったり、スタジオに戻って夜中まで制作を続けたり、窯の様子を見に行ったり・・・。各自の制作方法も様々で、ロクロを使って器類を作る人に、具象的な彫刻を作る人、『物質としての土を焼くという行為自体』に意味を求める人と多種多様で、初心者ながらも彫刻作品を作ってもいた自分が、その場に入っていくことに不安はありませんでした。なによりみんな親切で、彼らから陶芸の歴史や、ロクロの使い方などおしえてもらいました。ロクロを使って制作する気はなかったのですが、少しでも出来るようになるとやっぱり楽しくて、普段使いの器も作ってしまいました。


3) Do you now have a wheel and kiln in your studio? Where is your studio?
3)奈良さんのアトリエには、轆轤や窯はあるのでしょうか? アトリエはどちらですか?

僕のスタジオは東京から北へ200kmほど離れた高原地帯にあります。ご近所が3軒の田舎で、ロクロも窯もありません。僕は普段の制作ではアシスタントを使わないので、そこでは絵画制作が主です。

4) Do you have any favourite modern ceramic artists, or older ceramics from history. If so, what examples and why?
4)奈良さんのお好きな近代の陶芸家、または陶芸の歴史の中で特に好きな作品はありますか?
もしある場合、その理由についても教えて下さい。

陶芸を学ぶ以前から、李朝の欲のない素朴な表現に惹かれていました。あまり釉薬や技術には興味がないようで、白黒写真でみても鑑賞できるような造形的なものに惹かれます。あるいは、作り手の精神が技術を越えて鑑賞者に伝わるようなものが好きです。また、近代北欧の器や、日本でも一般的にポピュラーなルーシー・リーの作品も好きです。

5) Some of your ceramic works are functional – they could be vases for flowers or plates for food. Do you like seeing your characters have this functional role?
5)奈良さんのセラミック作品の中には、花瓶や壷、食器といった普段使いの物もありますよね。ご自身のキャラクター達が実用的な器になることについては、どう思われますか?

僕が作った普段使いの陶器は、基本的にNot for saleでほとんど友人にプレゼントするためのものです。知らない人の手に渡ることを考えて作ってはいません。また、実用品として知らない人の手に渡せるほど僕のロクロ技術は高くはありません。


7) Your work ‘Fire Mountain’ (2010), for example, is not painted or glazed. Did you want to emphasise the raw, clay texture? What do you like about this texture?
7)例えば、2010年の「Fire Mountain」という作品は、素焼きのまま(焼締め)の状態です。これは、土の持つ質感をそのまま強調しようとした結果なのでしょうか? また、このようなテクスチャーがお好きなのは何故ですか?

その上に釉薬をかけて焼いても焼かなくても、素焼きの時点でスピリットがちゃんと伝わる状態だったからです。僕にとっての完成はそういうことです。

8) Your large ceramic sculptures look like ‘Haniwa’ from Shinto tombs, or ‘Komainu’ in later periods. Did you intend this connection, and why?
8)奈良さんの大きなセラミック作品は、古墳時代の埴輪や、その後の時代の狛犬を彷彿させます。この関係性は意図的なものなのでしょうか、またそれは何故ですか?

たぶん、現代的なテクニックではなく、なにか根源的なものを重視していた結果ではないかと思います。単純で力強い造形に興味があり、釉薬やへら等の道具にはあまり興味がありません。僕の場合、道具を使いすぎると表面的になってしまうので、素手で土と取っ組み合いをしながら作りたいと思っています。

10) When and where are your ceramics going to be exhibited in 2011? Any plans to show them in England?
10)2011年にセラミック作品を展示する予定がありましたら、その展示の時期と場所が知りたいです。イギリスでセラミック作品を展示する予定はあるのでしょうか?

これからもセラミック作品は制作していきますが、1メートルを越える大きなものも多く、時には2メートルも越えてしまい、梱包はもとより運搬や設置が非常に大変なため海外でも展示は予定していません。そのようなことをサポートしてもらえる美術館などからのオファーがあれば喜んでイギリスで展覧会をしたいです。小品だけでの展示は僕の本意ではないので、大小の作品を同時に見せたり、絵やドローイングも交えた展示をしてみたいです。
[PR]
by ynfoil | 2011-03-05 17:34 | art | Comments(0)