奈良美智の日々

80年代

僕は、高校を出て上京した頃は、全くの不良で、それなりに悪い人間だったはずだ・・・

最近、高校を出てから上京後、そして愛知での学生生活時代の写真を整理している。
なんだか恐ろしい写真がいっぱいあって、自分でもショックだったりする。

愛知県立芸大で学ぶために、東京から名古屋郊外の長久手に引っ越した。
愛知芸大という少人数でアットホームな学校に通うことになった。
それまで通ってた武蔵美のような大きな学校では、先生なんかから個人的には絶対に声なんてかけてもらえなかった。
愛知では、それまで雲の上の人だと思っていたような『先生』から、声をかけられ御飯やお茶にも誘ってもらったりした。
そして、家族や兄弟のように接してくれる同級生や先輩、後輩に出会った。
いっつも、誰かの下宿に集まっていて、密な時間を過ごしていた。
隔離されたような小さな学校で、みんな学校周辺の辺鄙な田舎に住んでいた。
雨が降れば道がぬかるむようなところで、農家の離れを改造したような下宿にみんな住んでいた。

僕は、そこでの生活を感受し、そのおかげで少しは優しくなれたのだと、たった今、あの頃の写真を大量に見ていて気がついた・・・

写真を見ている限り、僕は自分が思っている以上に周りのみんなから好かれていて、みんなと楽しくやっていた。

あの頃の自分が気がつかなかったことが、再び見る写真の中にたくさん発見された。

僕は、ドイツ生活で個に向かい、今の自分の核となるものを確立したと思っていたし、確かにそうに違いない。
けれども、そんな個に向かえるような(すべてをそのままにしても、再び戻ってこれるような)安心感を与えてくれたのは、あの名古屋郊外の山の中での生活だったのだ。

80年代の自分の写真は、とがったような風から、だんだん爽やかな青年に移り変わっていく・・・

いろんなことに気づくのが、いつも遅いでかんがや~!
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# by ynfoil | 2013-03-09 07:15 | 長久手日記

2012 2 13



制作したり発表したりする以外で自分は(社会に対して)何が出来るんだろう、という呪縛にも似た意識が2000年頃よりある。

そして、自分が住んでいる地域社会という足元を見なければ、いかに理想を唱えて行動したとしても、自分にとっては何かが違うんだ、というふうには深く感じるに至っている。

それでいて、何をすれば良いのか、したいのか、ということを考え出すと、そこから逃げるように制作に向かってしまう。

ならば、その制作するということに全力を尽くすのが、逃げではなく、何かに向き合うことになるのではないか?
・・・なんて、10年前にも、20年前にも思ったことを、今も思っている自分がいる。

成長って何だろうな~
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# by ynfoil | 2013-02-12 06:15 | 日記

2013 2 11


大好きな歌声や音楽や、言葉や風景やなんか・・・信じている諸々のもの。
それらに感動した自分がいて、自分の世界が少しずつ広がっていく。

知識で得ただけならば、暗記に明け暮れた試験勉強のように、もう思い出すことは出来ない。

方法論だけで作られた作品は、あの虚しい試験勉強した頃のノートブックのようだ。
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# by ynfoil | 2013-02-11 04:54 | 日記

見るまえに跳べ

身が引き締まるこの寒い季節のうちに、なんとか春のNY個展へのホップとステップになるような絵を描かなければいけない。

ちょっと大人しく優しい雰囲気を求めてはいたのだけれども、ここからの助走には『見るまえに跳べ』的な勇気無くしては進めない。


        Leap Before You Look

   The sense of danger must not disappear:
   The way is certainly both short and steep,
   However gradual it looks from here;
   Look if you like, but you will have to leap.

         W. H. Auden
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# by ynfoil | 2013-02-04 01:45 | 日記

雪の色

好きな色を聞かれれば、僕は「雪の白」と答える。
でも、一口に雪の白と言っても、人によって想うことはマチマチだろうな。

僕の好きな「雪の白」の感じは、その降りしきる無音な感じ。
深夜の雪原の上、銀に輝く満月の色にも似ている。

故郷はやさしかったなぁ・・というか、いつ訪れてもやさしい。

そんな故郷に背を向けて、走り去るように夜汽車に乗った18の早春。
決して都会に憧れていたわけでない。
ただただ、やさしい故郷から旅立ちたかったのだ。

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# by ynfoil | 2013-01-31 01:14 | 日記

昨日の日記への補足みたいな・・・

今思えば、青森という場所には、受け入れる側に学術的、戦略的なものを超えた、郷土出身者である作家作品への愛があったように思う。主催の展覧会実行委員会には、美術館の他にTV局も入っていて、あまりにも繰り返して流れる展覧会のCMには閉口するところがあったけれども、根底には何かしらの郷土出身者への応援があったのだろう。

そして、熊本。もう既に10年以上も前に、naoko.さんが作ってくれたHAPPY HOURのBBSで知ってから、いろんな僕の展覧会場で会ったこともある熊本在住のPさんと、今回その開催都市、熊本で再会したことが、展示作業する自分の心に、熊本と言う場所を特別な場所と想わせていった。オープニングで再会した、九州は元より日本のいろんなところから来てくれた、Pさんのような古くからの、あるいは新しい知人。

そういう想いを、2001年に国内で初めての美術館個展を開いた横浜に持つには、横浜はあまりにも巨大な都市であり、美術界自体の真ん中にありすぎる。青森も熊本も、会場面積の数字自体は横浜より狭いはずなのに、なぜか親密な空間であったのは、そんな理由からなのだろうか・・・

・・・そんな気がしている。
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# by ynfoil | 2013-01-30 02:24 | 日記

展示

去年の夏に横浜美術館から始まった展覧会ツアー。
その後、青森県立美術館を経て、熊本現代美術館での展示が始まった。

おもしろいことに、埋立地で会場付近に大きな建物が無機的に並んでいる横浜美術館では、その大きな建物が並ぶように大きな四角い空間に仕切られて、立体、ビルボード、絵画と展示された。郊外の広い野原に建てられた大きな青森の美術館では、公園を歩くようにアプローチを意識して仕切りを曖昧にし、絵と彫刻を組み合わせた空間を作った。熊本は、街の中心部に美術館があり、大きなアーケード街から周辺を横切る小さな小路が迷路的な面白さをかもしだしていて、そんな風に迷路のような空間設定になっている。

それは、初めから意識的に行われた展示形態ではなく、下見や自分が感じた周辺の空気から自然に導き出された結果だ。

青森での展示は、生涯忘れられないものとなるだろう。その北国は自分が生まれ育ち、自分特有の感性の基本が作られた場所でもあるからだ。故郷を後にして30年以上も経ってはいるのだけれど、幼年期から思春期と多感な時期、当たり前のように毎日を新鮮に生きていたあの18年が、僕が思う僕の感性を作り上げてくれた。そして、その感性を創作する行為に変えてくれたのが、同じような空気の匂いを感じたドイツで暮らした12年だったのだと思う。

さて、白い雪原の中に窓も少なく建っている、巨大な白い青森県立美術館での展示は、その外風景を中に入れ込んだつもりだ。ブロンズ彫刻と絵画が混在する暗い空間を抜け、傾斜のある土壁の通路を歩いて辿り着く、3点の大きな絵がある白い大きな展示室は、外に広がる雪原なのだ。結局のところ、自分にも自然にも内側や外側は無く、メビウスの輪のように、なんとかの壺のように繋がっているものなのだろう。

青森県美では外の雪景色だけではなく、その建築空間や常設の自作品たちも今回の展覧会に味方してくれたと思っている。それは、よくはわからないけれども愛のような実態のないもので、なにかしら現実的であった大都市横浜の展示作業にはなかった感覚だ。そして、熊本での展示作業中は、まだ会わぬ友に見せるような気持ちだった気がする。

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# by ynfoil | 2013-01-29 01:14 | 日記

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