奈良美智の日々

TWO PUNKSを聴きながら・・・

歌が実感を伴う時、気持ちが解放されて何かと繋がる。

TWO PUNKS を聴いてると、自分はまったく成長してない気がしてくる。

それが、情けないってことは全く無くて、なんだか自然と微笑みがこぼれてくる感じだ。

どの道も、奥へ進んで行くほどに、その世界は厳しい。
苦労を苦労と思わずに、歩けて来たことには感謝するどころか、ただただ驚いてしまう。

なんか上手くいってるようでありながら、回りを見渡すと、孤独感に苛まれる時もある。
けれども、その孤独感や疎外感こそが、誰でもない自分と深く対話するきっかけになったのだ。

社会的に大人になっていく自分と、子供のままの気持ちでいる自分。

あはは・・・社会的とか、大人とか、言ってはみても、全くガキな自分で、
調子の良い奴らには、コロッと騙されてしまう。

それでも、それが聴いてる歌を真実の歌に変えて、自分は感動して、
生きていること、感じれることに喜びを覚える。



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# by ynfoil | 2015-08-26 06:01 | 日記 | Comments(5)

LOOSE GAME

なんだかTHE MODSの歌を口ずさんでいる・・・

美術界に関して自分は、勝ち目はないゲーム盤の上に立っている。
でも、飼い慣らされて生きるより、ずっと自由だし、
誰かの顔色みながら物言うより、ずっと気持ちが良い。
近くに見える顔は、死ぬまで付き合える顔だ。

手足の届く範囲で一生懸命に生きてやる!
 
 
 LOOSE GAME   by the Mods
 
 一握りのコイン 悪魔にくれてやれ
 夢にかかった 汚れをぬぐいさろう
 勝ち目はない 長いゲームだけど
 飼い慣らされるより ずっと自由さ

 たったちっぽけな 一本の黒いGUITAR
 一足の靴から 始まったこの俺さ
 くそったれあぁ 可愛いあの娘までが
 だんだんBLUEに 染まってゆくぜ

 いくつも夜を乗り越え
 いくつも夢が削られ

 俺は仕方なく やって来たんじゃないぜ
 俺は望んで ここへここへ来たのさ
 このROCKという名の LOOSE GAMEに

 いつもいつの世も 変わりはしない
 奴等は指差し 笑っているけど
 作られた夢とは 取り引きはしない
 俺達の復讐は 地下で弾けてる

 いくつも夜を乗り越え
 いくつも夢が削られ

 俺は仕方なく やって来たんじゃないぜ
 俺は望んで ここへここへ来たのさ
 このROCKという名の LOOSE GAMEに


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# by ynfoil | 2015-08-24 07:04 | 日記 | Comments(2)

Reach out to the moon, even if we can't.

Today 21st August is the anniversary of the Birth of Joe Strummer.

「月に向かって手を伸ばせ、たとえ届かなくても」


I FOUGHT THE LAW

Breakin rocks in the hot sun
I fought the law and the law won
I fought the law and the law won
I needed money cause I had none
I fought the law and the law won
I fought the law and the law won

I miss my baby and I feel so sad
Guess my race is run
Shes the best girl that I ever had
I fought the law and the law won
I fought the law and the

Robbin people with a six-gun
I fought the law and the law won
I fought the law and the law won
I miss my baby and miss my fun
I fought the law and the law won
I fought the law and the law won

I miss my baby and I feel so sad
Guess my race is run
Shes the best girl that I ever had
I fought the law and the law won
I fought the law and the

I fought the law and the law won
I fought the law and the law won
I fought the law and the law won
I fought the law and the law won
I fought the law and the law won
I fought the law and the law won
I fought the law and the law won
I fought the law and the
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# by ynfoil | 2015-08-21 03:03 | music | Comments(3)

PHASE 2015 "COMPANY"

 
 PHASE HP 

↓ 日本語テキストの後に中国語テキストが続きます。 

・・・COMPANYのヒミツ

奈良美智

去年の夏、僕はフィンランドからやって来た二人組のユニット『カンパニー』(COMPANY)と津軽地方を巡った。彼らは今回の展覧会プロジェクトのため、すでに東北をリサーチしてきていて、青森は最終地だった。僕らは弘前をぶらぶらして、ネプタ小屋にお邪魔したり、伝統的な津軽塗の工房を観て回り、ブナコ(注1)や染色の制作体験もやってみた。津軽三味線のライブも堪能して、青森ネブタの華やかなエンターテイメントや花火大会も楽しんだ。まぁ、お決まりの観光コースなのだろうけど、まずはそういうところを見せてあげないと、と思ったのだけど、案外自分も観光客のように楽しめた。

彼らはどこに行っても小さなノートにメモを取ることを欠かさなかった。自分にとっては当たり前の風景、リンゴ畑すらも彼らの眼には面白く映ったのだろうか、とか思い始めると、故郷を離れて30年以上経つ自分も、急に景色が新鮮に見えたりもした。彼らのノートには青森県以外でも、東北のコケシ職人やいろんな工芸家を訪ねたことが、手描きの図とともにびっしりと書かれていて、それはなんだか、明治時代に日本の辺境に旅して記録していったヨーロッパ人の残したもののように見えて、自分の中で時間と場所がツイストした。

一緒の旅の最終日、僕らは岩木山麓に宿をとり、古くから信仰の対象であった岩木山の山頂に登り、周辺の森を探索した。その最後の1日が文化や慣習の違いをとっぱらい、日本以上に共生意識をもって自然と暮らすフィンランドからやって来たふたりと、この東北の果てを精神的に結びつけた気がする。事実、岩木山を後にしてから、僕は彼らを五所川原市の「川倉賽の河原地蔵尊」に連れていくことを思いつき、模範生的な観光から逸脱してしまった。しかし、これが今回の展示アイディアにおいて何かしら重要なステップになった気がしている。

恐山にも行った、と彼らは話していたが、「川倉賽の河原地蔵尊」での体験はかなりインパクトがあったはずだ。たくさんの化粧地蔵があるお堂の中では、造形的、美術的な面白さもあったが、隣接されている建物に入った時は言葉を失った。それは、子どもを亡くした親や親族が、その子の結婚適齢期に合わせて奉納した夫婦人形が並ぶ建物で、人形の数は2000体以上はあっただろう。この人形を介しての死霊結婚という行いは、戦後から始まったと言われていて決して古いものではないが、自分にとってさえ、本州最北端の地の特異な風習に思えた。僕は拙い英語で、水子地蔵や夫婦人形のことを説明したのだが、話しているうちに自分がどのような土地で生まれ育ったのかを意識せざるを得なかったのだ。

フィンランドの人々は、古くから北欧的な自然崇拝、すべてのもの神が宿るというような多神教意識のもとに暮らしていたが、キリスト教の伝来と近代化の後、そのような意識は希薄になっていった。しかしながら、民衆の暮らしの中には森や自然と人のスピリチュアルな関係が未だに存在している感がある。そのような迷信と言われても仕方ないようなことが、生活の中で機能しているというのは、恐山や川倉の大祭に集い、口寄せをするイタコに人々が耳を傾けたり、女性たちが、男子禁制の部屋でおしら様を遊ばせて楽しむ風習の残る、この青森県と似ていると思うのだ(注2)。もちろん、現代青森ではそのような人々は少数派、あるいは保存すべきもの、もしくは観光の一部としてしか存在していないのかもしれない。それでも、近代化以降も、生活の中に感覚として、スピリチュアルなものが残っていることは事実だろう。

フィンランドを拠点とする二人組ユニットCOMPANYではあるが、一人はフィンランド人のヨハン・オリン (Johan Olin)であり、もう一人は韓国出身のアーム・ソン (Aamu Song)である。アームはフィンランドの大学に留学し、卒業後も彼の地に留まり今に至っているのだが、隣国である韓国もまた、まじないや祈祷の類が生活の中に残っている国である。彼女の発言や意識にはとても霊感的なものがあると、僕は感じている。話は飛ぶが、その感覚は、やはり自然崇拝が暮らしの中に残っているアイスランド出身の歌手、ビョークから受けるものにとても似ている。カンパニーの二人が東北を旅して、土着的でスピリチュアルなものに興味を持ったとしても、それはまったく不思議ではないのだ。

このテキストを書いている時点で、彼らの展示の詳細を僕はまだ知らない。それでも、単にカッコいいもの、あるいは単なるローカリゼーションに乗っかったような展示にはならないだろうと思うのだ。それは、彼らがこの東北という土地を旅して得たであろうものが、この自分がバックグラウンドとして逃れられない青森、東北という磁場に繋がっていると確信しているからだ。

最後にカンパニー、その二人との出会いを記しておく。僕らは2006年、日本やフィンランドから遠く離れたタイのバンコクで出会った。シラパコーン大学のギャラリーで行われたグループ展の出品作家同士で、共通の知人を介して紹介された(注3)。その時は、そんなに話もせず、彼らの仕事(作品)にはとても興味を持ったが、連絡を取り合うということもなかった。

それから、6年後の2012年。ヘルシンキの美術館でレクチャーを行うために訪れた初めてのフィンランド。朝の街をぶらついてると「ナラ・サン?」と、小屋のようなブティックの前で開店準備をしている男性に声をかけられたのだった。それがヨハンとアームとの7年ぶりの再会だった。彼らの店で、実際のプロダクトを手にして、説明を聞いた。それはいろんな土地で、そこに暮らす職人たちの技術と彼らのアイディアとのコラボレーションで、独創性にあふれていた。さらに自分のレクチャー会場の美術館で、偶然に彼らのロシアでのプロジェクトの展覧会が開かれていた(注4)。ロシアの工芸職人たちを巻き込んだプロジェクトは、面白い!以外の何物でもなかった。僕は、その時から、偶然の再会は必然だったのだな!と思い始めて、こうしてこの地まで彼らを呼ぼうと決心して、今にいたったわけなのです。

このテキストでは、彼らが今まで行ってきたプロジェクトや作品については触れなかったが、興味を持ったならば彼らのウェブサイトを訪れてみてください(注5) 。面白いよ!

(注1) 青森県が日本一の蓄積量を誇るブナの木を厚さ1mm程度のテープ状にカットし巻き重ねたものを、器状に成形して作られる青森の木工品。50年の歴史をもつ弘前市の「ブナコ株式会社」で製作されている。

(注2)  日本三大霊場の一つ恐山の大祭[7月20-24日]や「川倉賽の河原地蔵尊」の大祭[旧暦6月22-24日]には、県内各地から「イタコ」と呼ばれる盲目・半盲目の巫女(霊媒)が集まる。「イタコ」は依頼者の求めに応じて、故人の霊魂をあの世から呼び寄せる「口寄せ」を行う。「おしら様」は東北の家の神として祀られるもので、一般に養蚕の神として知られるが、青森県では、家の守り神、農神、火を防ぐ神、厄を払う神などとしても長らく信仰されてきた。御神体は長さが30cmほどの男女(あるいは馬と娘)1対の木偶で、オセンダクと呼ばれる布切れが幾重にもかぶせられている。代々女性によって祀られ、「イタコ」(あるいはカミサマと呼ばれる民間宗教者)を呼んで行われる祭祀「おしら様遊ばせ」は、集落の主婦たちが中心となった年中行事となっている場合がある。 

(注3) 2006年、タイ、バンコクのシラパコーン大学Silpakorn Universityで開催された 「束の間美術館 ソイ・サバーイSoi Sabai」展。

(注4)  2012年、ヘルシンキの国立現代美術館キアズマで開催されたグループ展「カモフラージュ」にはカンパニーの「シークレッツ・オブ・ロシア Secrets of Russia」の作品が出品された。Camouflage, Kiasma, Helsinki, Finland, 2012

(注5) 「カンパニー COMPANY」のホームページ(英語のみ): http://www.com-pa-ny.com



COMPANY的秘密

奈良美智  訳・Frances Wang

去年夏天,我帶來自芬蘭的雙人組合「COMPANY」到津輕地方到處逛逛。他們為了這次的展覽企劃,已經在東北地方到處考察,青森是最後一處。我們在弘前閒逛,去參觀睡魔小屋、到處看傳統的津輕塗工房,嘗試了櫸木工藝品(BUNACO,注1)與染色的實作體驗。我們也充分享受了津輕三味線與青森睡魔祭華麗又熱鬧的活動和煙火秀。看起來就是像是標準的觀光行程,雖然我本來覺得這些只是必須帶他們去的地方,但意料之外的是我自己也像觀光客一樣看得很開心。
他們不管到哪裡都拿著一本小記事本記筆記。我開始覺得,那些對我來說是理所當然的景色,甚至是蘋果園,在他們的眼裡也都是非常新鮮有趣的吧?離鄉已經超過三十年的我,突然也看得見這些風景的新奇有趣之處了。在他們的筆記裡,除了青森縣以外,也記錄了拜訪東北地方製作小芥子人偶的工匠與各種藝術家的紀錄,手繪圖配著詳細記錄的文字,那看起來簡直就像是歐洲人在明治時代到日本邊境旅行所留下來的紀錄一樣,在我心裡,時間與空間也跟著扭轉了。
一起旅行的最後一天,我們住在岩木山麓,登上了自古以來被當作是信仰對象的岩木山山頂,探訪周邊的森林。在這裡的最後一天,撇開文化與習慣的差異,來自比日本更具有與自然共生意識的芬蘭的兩人,終於感覺到在精神上與這塊東北盡頭的土地連結起來了。事實上,在離開岩木山之後,我本來想要帶他們去看五所川原市的「川倉賽的河原地藏尊」,但終究還是從模範生式的觀光中脫逃了。但我覺得這些見聞對於我們這次的展覽靈感而言是非常重要的一環。
他們說也去了恐山,但對於在「川倉賽的河原地藏尊」所感受到的應該是更加具有衝擊性。在堂裡看到經過裝扮的大量地藏,造型上與藝術上雖然都非常有趣,但一走到隔壁棟的建築物裡,他們完全說不出話來。那棟建築裡放置著失去孩子的親人和家屬為了配合死去孩子的適婚期而供奉的夫婦人偶,數量高達2000尊以上吧!藉由這種人偶的冥婚方式,並非古老習俗,而是從戰後開始的,甚至對我來說,我想這是日本本州最北端之地擁有的特殊風俗習慣。我以不純熟的英語向他們說明水子地藏(譯:為早夭嬰孩所立的地藏,常見於鄉下路旁,身上綁有紅布)與夫婦人偶,但在說明的同時,我也不由得意識到自己是生長在什麼樣的土地上。
芬蘭人自古以來就在北歐式的自然崇拜、世間萬物都有神靈寄寓其中的多神意識之下生活,但自基督教北傳與近代化之後,這種意識就變得較為淡薄了。但是在民眾的生活中,仍然能感受到森林和自然與人精神上的關係之存在。這被說為是迷信似乎也無可奈何,但是在生活中具備實際功能的是人們聚集在恐山與川倉的大祭中,傾聽進行降靈儀式的巫女(itako)所言,另外女性們在男性禁止進入的房間裡賞玩御白神的風俗也流傳下來了,這與青森縣非常相似。(注2)當然,在現代的青森裡這類人物是少數,或說是應該被保存的習俗,甚至可能也變成觀光的一部分。儘管如此,近代化之後,作為生活中的感受、精神性的事物留存下來也是事實吧!
以芬蘭為據點的雙人組合COMPANY,其中一位是芬蘭人Johan Olin,另一位是韓國出身的Aamu Song。Aamu Song在芬蘭的大學留學,畢業後就留在Johan Olin的國家至今,但日本的鄰國韓國現在仍舊是生活中保有咒術與祈禱之類習慣的國家。我從她的話語和想法中可以感受到充滿感應式的東西。雖然有點扯遠了,但那種感覺就像從生活中還保有自然崇拜的冰島歌手碧玉身上可以感受到的一樣。COMPANY的兩位到東北旅行,就算對於當地所產生的靈魂式事物感興趣,這一點都不令人覺得奇怪。
寫這篇文章的時候,我對他們展示的詳細內容完全一無所知。儘管如此,如果只是覺得非常酷、或者說只是非常地方化的內容是不會展出的吧。因為我確信他們在東北這塊土地上旅行的收穫,與作為我逃避不了的出身背景青森、東北地方的磁場是相吸的。
最後,我要說明一下與COMPANY這兩人相遇的過程。我們是在2006年,在與日本和芬蘭都相當遠的泰國曼谷相遇的。當時我們是一起參加泰國藝術大學(Silpakorn University )舉辦的聯展,透過共同朋友介紹認識(注3)。當時我們沒什麼交談,雖然對他們的作品很有興趣,但也沒有繼續保持聯絡。
後來,在六年後的2012年,我去赫爾辛基的美術館演講,那是我第一次造訪芬蘭。當我在早晨的街道上散步時,在一間宛如小房子的精品店前面準備開店的男子向我喊了聲:「NARA SAN?」那是我與Johan與Aamu 相隔七年的重逢。在他們的店裡,我用手觸摸他們的作品,聽他們說明。他們將在各種土地上生活的職人們的技術與他們的想法結合所產生的作品,充滿了獨創性。我甚至在自己的演講會場的美術館裡,看到了他們的俄羅斯計畫的展覽會(注4)。由俄羅斯工藝職人們參與的作品,除了有趣還是有趣。我從那時開始就覺得我們的重逢一定有其必然性!因此就決定要叫他們來這裡看看,這就是他們來到這裡的原因。
這篇文章雖然沒有寫到他們至今所做過的計畫與作品,如果有興趣的話,請到他們的網頁看看(注5),很有趣喔!

注1:櫸木工藝品(BUNACO)是青森縣將堪稱日本產量第一的櫸木做成1公釐厚的帶狀切斷後捲起重疊,做成器物形狀的木製產品。由具有50年歷史的弘前市BUNACO株式會社所製作。
注2:在日本三大靈場(恐山、高野山、比叡山)之一的恐山大祭(7月20-24日)和「川倉賽的河原地藏尊」大祭(舊曆6月22-24日),縣內各地被稱為「巫女」的盲眼、半盲眼巫女(靈媒)會聚集而來,巫女會應請託者的要求,會進行將亡者的靈魂召喚到人間的降靈(觀落陰)儀式。「御白神」是東北地方的民間神祇,一般以養蠶之神為人所知,在青森縣,家的守護神(譯:類似地基主)、農神、防火神、除厄神等也有長遠的信仰歷史。神的形體是以高度約30公分的一對男女(或是馬與女孩)木偶,用稱為「御洗」的和服布層層包住(譯:依地方有包住頭或是穿過頭的形式,每年加上一層新的布)。代代由女性來祭祀,某些地方由聚落的主婦們為中心,邀請巫女(或是被稱為神女的民間宗教人士)來進行祭祀的「御白神賞玩」也成為一年中的祭典之一。
注3:2006年泰國曼谷的泰國藝術大學舉辦的「短期美術館Soi Sabai」展。
注4:在2012年赫爾辛基國立現代美術館奇亞斯瑪舉行的聯展「Camouflage, Kiasma, Helsinki, Finland, 2012」中,COMPANY的作品「Secrets of Russia」也參加了。
注5:COMPANY的網頁(英文): http://www.com-pa-ny.com

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# by ynfoil | 2015-05-31 08:26 | art | Comments(4)

2015年 5月20日

最近、よく思う。
自分が子供の頃に聴いていた歌なんかのこと。
小学校の頃は、レコードなんて数枚しか買わなかった。
つか、買えなかった、のほうが正しいか。
お年玉をもらった正月明け、レコード屋さんに走った。

中学生になった頃から、とにかくおこずかいを貯めてはレコード買ってた。
高校生になってからは、参考書代やらなんやらもレコードにつぎ込んだ。
喫茶店でバイトして、レコードばっかり買ってた。
映画も観たが、映画館の息子から招待券もらって観てた。
ライブのチケットをさばいては、タダでライブも観てた。
勉強はしなかったが、遊びには熱心だった。

あの頃から少しづつ増えていったレコードたち。
気が付くと、おそろしい数になっていた。

たとえば今、CDラックに目をやると、ものすごい数のCDもあるけれど。
レコード、ってのは特別なんだ。


最近、音楽関係の番組に呼ばれたりするようになった。
たくさん聴いてきた音楽たちが、自分を助けてくれている。
中学の時からずっと聴き続けてきたレコードが、今の時代でまた歌う。

途方もない時間をレコードと共に過ごしてきた。
それは自分にとっての勉強でもあったのだと思う。
絵や写真や、創作に関わることすべてに、その時間の蓄積が影響している。
影響している、というよりは、助けてくれる、手を貸してくれる、だな。

子供の頃から、自分で勉強してきたってことだ。
学校で習ったことなんかじゃなくて、ひとりで自然に学んだことだ。
それが、自分の表現に幅を与えてくれていると思うのだ。
幅、というか・・・やっぱ幅か・・・。

美術を勉強するようになってから習うものは、大体みんな同じだ。
もしかしたら感性さえ、学校で習うものになってるのかもしれない。

僕は、子供の頃から音楽が傍にあってくれて、一緒に成長した。
それはとても幸運なことだった、と思ったりもする。
でも、創作活動をしている誰だって、そういう経験はしている。
自分は、小さい頃からの自分史を、創作に入れ込むことが出来た。
そうなんだ、創作に役立てられている、っとことが幸運なんだ。


今、庭の手入れをしたり、木々を育てたりしている。
制作そのものは以前ほど大切に感じられなくなった。
旅に出たり、森を作ろうとしたりしていることに喜びを覚える。
そして、レコードを聴きながら本を読んだりしている。

美術の世界というのは確かに存在している。
もちろん、自分もその中にいるんだろうけれど。
でも、その中にいるのは自分じゃなくて、作品たちなんだ。

自分が自分であることをわかりたくて、絵を描いてきた。
結果、自分をわからせてくれたのは、その絵に対するリアクションだった。


僕はここにいて、ここで生きている。
都市から離れて、ここで生きている。
街も好きだから、時々は街に行く。
人も好きだから、時々は人に会う。

知り合いは多いが、友達は少ない。
友達は少ない方が真実味がある。

20代で先生をしてた頃の生徒たちを想い出す。
あの頃の彼女のことも想い出したりする。
一緒に遊んだ連中のことも想い出す。
子供の頃の毎日も想い出している。

過去を遡っては懐かしむ。
それが、確かに自分の血となり肉となっていることを実感する。

そして、明日に目を向けるのだ。
生きているってことは、そこが大事なのだ。

そうやって暮らしている。



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# by ynfoil | 2015-05-21 04:15 | 日記 | Comments(11)

Ronnie Lane & the Band Slim Chance

NHK FMの深夜放送『夜のプレイリスト』っての、今週は自分がパーソナリティ。

今日はRonnie Lane、懐かしくも、いつも傍にある音楽のひとつだ。
いったい何人の人々が、この放送に耳を傾けてくれてるのかわからないけど、
こうして好きな音楽を紹介するのが昔から好きだった。

高校の時、中学の先輩とガレージを改装してロック喫茶を作った。
つうか、先輩が自分を誘ってくれたのがうれしかった。
その先輩は地元をベースに歌を歌ってた人で、10歳くらい年上だったかな。
彼が秋田とか仕事に行くときは、誘われてローディのようについてった。
今思えば、とても気に入られてたんだと思う。

店作りは、高校生の自分にはとても楽しくて、
板ガラスを切って窓枠作ってはめ込んだ。
木の板を彫り込んで看板を作った。(けど、盗られちゃったな!)
そんなDIYな感じが、後々grafの人々と小屋を作るプロジェクトに発展したのかな?
若い時の体験って、今思うと、そうだったんだ!って納得することばっかし。

そのロック喫茶は『33 1/3』という名前で・・・そう!LPレコードの回転数33 1/3 r.p.m。
僕はそこでレコードをかけたり、購入するレコードを選んだりしていたんだった。
これはどうだ!?っていうレコードかけて、音楽好きの大学生たちの反応を楽しんでた。
最初は好きでやってたんだけど、そのうちサーブなんかも手伝いし出して、バイト料もらってたっけ。

なんだか自分の店のようにふるまってた気がするけど、
高校を卒業してからは、田舎に帰ることもなくて疎遠になってった。

オーナーの先輩は、いつのまにか亡くなって、店も終わった。

僕は今も昨日のことのように思い出す。
先輩や面白い大人の人たちと一緒に店を作った日々を。
いろんなことが自分を作っている。

進学校の明るい落ちこぼれ。
ロック好きで女子大生好きの不良。
大学生相手のタメ口野郎。

高校生の時に、あがた森魚さんに会い、デビューしたての友川かずきさんにも会った。
ストリップ嬢のジローさんにも出会い、タコ八郎さんや、はみだし劇場の人々にも出会った。
ライブハウスでバイトして(つうか、チケットさばいて自分はタダで観てた)ミュージシャンたちにも会った。
どこにいても自分は一番年下で、みんな優しく接してくれてた。

上京して、いろんなことに出会っても、ちっとも驚かないくらいの経験を田舎でしてたんだな。

カッコいい大人たちに囲まれてたな・・・
あの時代、70年代って、やっぱ特別だ。
みんな羨ましがるだろうよ~。

あの頃、多感な10代で、ちょっと年上の変な大人たちに知り合えた。
・・・宝物って、そういうことなんだろうかなぁ~。

さてさて、昨日今日とラジオであの頃聴いてた曲をかけた。
明日も、あの頃、宝物のおすそ分けのように、喫茶店でかけてた曲を流そう。
つか、収録はすでに終わってるんだけどもさぁw

あ~~~俺って、ほんと、マジに深夜放送世代。
電波でもって交信したいぜ~~~~。

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# by ynfoil | 2015-05-06 04:08 | music | Comments(29)

5月5日 朝

相変わらず、絵はうまくいかないが、段ボールに描きなぐるタイプのものは、うまくいってくれてる。
Graham NashのWild Talesを聴きながら、B面1曲目grave concernから2曲目のOh! Camilが始まる時、
そのハーモニカの素朴な響きに、僕はどんなことでも話してしまいそうになる。
(そう簡単には、ここじゃ話せないけど・・・w)

複雑そうに思えていた世の中、つうか日本の社会が、驚くほど単純にこの眼に映る時があり、
どんな立場にいる人々も、基本的には自分と同じような感情を持っているのだと、ちょっと可笑しくなる。
そして、ちょっと笑った後に、安心と不安が同時にやってきて、僕は心臓が止まるかと思ってしまう。

Oh! CamilにはThe Winter Soldierって副題がついてた。

昨日・・・っていうか、今日の0時からNHK FMの『夜のプレイリスト』で、自分がレコードかけてる。
もごもごと、訛った語りでレコードを紹介している。
第一回はShirley Collins And The Albion Country Band / No Roses。
いろいろな想い出のシーンが、頭の中でグルグルと、ルーレットのように回転する。
嗚呼、そんなタイムマシーンは、33回転よりもずっと速くて、目が回るよ。






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# by ynfoil | 2015-05-05 05:16 | 日記 | Comments(5)