奈良美智の日々

REDEMPTION SONG

原曲はボブ・マーリィだけど、このジョー・ストラマーの声も好きだ。
この動画↓の壁画はNYCのNiagaraというバーの外壁で、中に入ると僕が描いたものがあります!


REDEMPTION SONG

昔 略奪者どもはこの俺を力づくで捕らえ
奴隷商人の船に売っ払った
そのすぐ後で 奴らは絶望のどん底に突き落とされた俺を買い取った
だが 俺の手は頑丈にできている
全能の神が授けてくれた手だ
大いなる誇りを持って
この時代を進んでいく
俺が今まで歌ってきたのは
全て解放の歌だ
この自由の歌を
一緒に歌ってくれないか
なぜなら俺が今まで歌ってきたのはすべて救いの歌だ
救いの歌だけなんだ

精神的奴隷の状態から
自分自身を解放せよ
俺たちの精神(こころ)を解き放てられるのは
他の誰でもなく 俺たち自身なのだ


原子力など恐れるな
やつらに時まで止めることはできやしない
あまりにも長いこと 奴らは
俺たちの予言者を殺し続けてきた
俺たちは傍観していただけだった


あるものはそれは聖書に
書かれているという
そして 俺たちは
予言の書を
完成せねばならない

この自由の歌を
一緒に歌ってくれないか
なぜなら 俺が今まで歌ってきたのは
全て救いの歌だけだ
そう 俺の歌ってきた歌は
すべて救いの歌なんだ

Old pirates yes they rob I
Sold I to the merchant ships
Minutes after they took I
From the bottomless pit
But my hand was made strong
By the hand of the almighty
We forward in this generation
Triumphantly
All I ever had, is songs of freedom
Won't you help to sing, these songs of freedom
Cause all I ever had, redemption songs
Redemption songs

Emancipate yourselves from mental slavery
None but ourselves can free our minds
Have no fear for atomic energy
Cause none of them can stop the time
How long shall they kill our prophets
While we stand aside and look
Some say it's just a part of

We've got to fulfill the book

Won't you help to sing, these songs of freedom
Cause all I ever had, redemption songs
Redemption songs, redemption songs

Emancipate yourselves from mental slavery
None but oursekves can free our minds
Have no fear for atomic energy
Cause none of them can stop the time
How long shall they kill our prophets
While we stand aside and look
Yes some say it's just a part of it
We've got to fulfill the book

Won't you help to sing, these songs of freedom
Cause all I ever had, redemption songs
All I ever had, redemption songs
These songs of freedom, songs of freedom...


☆ 日本語訳はここからの転載です。Thanx! → Roots Ethiopia


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# by ynfoil | 2014-07-31 23:37 | music

Rock'n'Roll Radio!

Do you remember Rock 'n' Roll Radio?


"This is rock 'n' roll radio, Come on, let's rock 'n' roll with the Ramones "

ロックン、ロックンロール・ラジオ!行くぜ!
ロックン、ロックンロール・ラジオ!行くぜ!
ロック!ロックンロール・ラジオ!レッツ・ゴー!
ロック!ロックンロール・ラジオ!レッツ・ゴー!

フラバルーを覚えてるかい?
アップビートやシンディグやエド・サリヴァンは?
ロックンロール・ラジオを覚えてるかい?
ロックンロールのラジオ番組だよ!覚えてるかい?

マリー・ザ・Kを覚えているかい?
アラン・フリード、ハイ・エナジー!
もう終わりだぜ!70年代の終わりだ!
そう、終わりなんだ!今世紀の終わりだぜ!

思い出してくれよ!ベッドに横になって、シーツにすっぽり包まってた自分を!
ラジオから音楽だけが流れてた、一人ぼっちのあの部屋を!

俺たちは変わんなきゃ!駆け足で!
ロックがただの過去に成り下がる前に!
最近の音楽なんてマンネリだろ?

ロックン、ロックンロール・ラジオ! 行くぜ!
ロックン、ロックンロール・ラジオ! 行くぜ!
ロック!ロックンロール・ラジオ! レッツ・ゴー!
ロック!ロックンロール・ラジオ! レッツ・ゴー!

ジェリー・リーを忘れてないだろ?
ジョン・レノンにT.レックス、オル・モルティ!  (注・モルティはバーバリアンズの左手義手のドラマー)
終わりだ!70年代の終わりだ!
終わりだ!今世紀の終わりだ!

思い出してくれよ!ベッドに横になって、シーツにすっぽり包まってた自分を!
ラジオから音楽だけが流れてた、一人ぼっちのあの部屋を!

俺たちは変わんなきゃ!駆け足で!
ロックがただの過去に成り下がる前に!
だって、最近の音楽なんてマンネリだろ?

ロックン、ロックンロール・ラジオ! 行くぜ!
ロックン、ロックンロール・ラジオ! 行くぜ!
ロック!ロックンロール・ラジオ! レッツ・ゴー!
ロック!ロックンロール・ラジオ! レッツ・ゴー!

"This is rock 'n' roll radio,Stay in tune for more rock'n'roll"

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# by ynfoil | 2014-07-17 04:17 | music

my guardian 2

 こんな人形、いっぱいある。


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# by ynfoil | 2014-07-05 22:07 | 写真作品

10 (11) songs for Music Portrait NHK E-tele

NHK Eテレの番組のために選んだ曲たちの解説!

M1  ♪  太陽野郎 / 寺内タケシとバニーズ  小学2年生

歌詞が好きだった。当時意識はしていなかったけれども、耳に残るギターの音色にもやられたと思う。
自分と同じような両親共働きの友だちと、冒険や青春っぽい友情に憧れて、小学2年の時に電車に乗って終点まで行ってみる。すでに暗くなった帰りの電車の中で、親切すぎるおばさんに捕まり、警察を呼ばれて補導された。
なにかしら外に飛び出し自由になることに憧れ始め、AMラジオから流れる米軍放送の意味すら分からないアメリカの歌が魅力的に感じられて、いつも聴いていた。自分の中のポジティヴな面は、幼年期に聴いたこの曲に由来している気がする。


M2 ①♪ スターマン / David Bowie  中学1年生

Ziggy Stardustという宇宙からやってきた架空のシンガーがSpiders from Marsというバックバンドを従えて発表したDavid Bowieのコンセプトアルバム。5年後に世界は消滅するというコンセプトの元、子供たちの味方Ziggyが歌う。このアルバムの曲はもちろんジャケットも空想を掻き立てるに充分で、David Bowieを代表とする当時のグラム・ロックのミュージシャンたちのヴィジュアルにも衝撃を受けた。また、グラム・ロックに限らず、アメリカ、イギリスのロックを幅広く聞き始め、メインのシンガーだけではなく、バックミュージシャンたちにも興味を持って、好きなバックミュージシャンが参加しているアルバムを探して買ったりし始めた。参考書を買うと嘘をついてレコードばかり買っていた。その嘘がバレないようにテストでは良い点をとるように勉強もした。

M2 ②♪ Blitz Krieg Bop / Ramones  高校2年生

中学の時は勉強しないでも成績が良かったが、高校は昔からの進学校。あっという間に勉強は出来なくなり劣等生に。しかし、ロック喫茶やその手のイベントなどでバイトするようになり、参考書を買うという嘘をつかずにお金を得て、さらにレコードを集め出す。かなりマニアックな集め方をするようになって、中学の先輩とガレージを改造したロック喫茶を手作りして、レコードブースでDJをする。そこに集う大学生たちにロックを教える側の立場となった。当時のアメリカのヒッピーカルチャーに触れ、年齢の割には大人っぽく、ヒッピーに憧れたりもしたが、RAMONESのデビューアルバムを聴いて、体に衝撃が走った。それは頭で考えるよりも、10代の衝動のままに体を動かし何かに向かって拳を振り上げるというもので、The Clashの登場により社会に向けての反発、反体制的な歌に興味が移っていった。


M3♪ ユニバーサル・ソルジャー / Donovan  20才

高校卒業後、上京して、古いもの新しいもの、いろいろとレコードを集め続け、ライブに通った。1980年、20歳の時に武蔵美2年次用の学費を使ってヨーロッパへ3か月の一人旅に出る。ヒッピーが集まるようなフラワームーブメント的な共同体の名残のある宿では、60~70年代のサブカルチャー的な音楽知識が役に立ち、その手の人々と仲良くなる。また街角にたむろするパンクスたちとも、パンクミュージックの知識を共有できて仲良くなれた。美術館での作品鑑賞よりも街や宿での出会いが楽しく、自分を育ててくれたと思う。美術に対しては何も考えなかったが、音楽や小説、映画などの同時代的な文化が、言葉を超えて共有でき、共感できることを体感した。ヒッピーの生き残りのような人たちに会っても、温かく迎えてくれて、その場にあるレコードの中から、この曲を選んでかけたことがある。ベトナム戦争への反戦歌だが、ベトナムにこだわらず戦争という人間同士の戦いの矛盾とやるせなさを歌っている。

M4♪  Radical real rock / The star club  24才

武蔵美の学費を使い込んだことを隠すために、学費の安い公立大学を受験して合格し、それ以降は仕送りを断りバイトで生活し始める。知識を生かしてレコード屋、造園屋などでバイトする。大学の後半は予備校講師のバイトをするが、バイト代は高給だった。しかしながら、生徒たちに先生として理想を語ることで、逆に自分を見直すことになり、『本当に学ばなければならないのは自分だ』と痛感するようになって、制作にも真面目になるが、海外で学んでみたいという野望が生まれる。当時は主に海外の音楽を聴いていたが、日本のパンクにも触れるようになり、名古屋のパンクバンドのライブに通う。同世代である名古屋出身のThe STAR CLUBの曲には共感するところが多く、以後多くのドローイングに歌詞の引用をするようになる。しかしながら作家として生きていこうという姿勢はまだ持てていなかった。


M5♪ für immer Punk / Die Goldenen Zitoronen  ドイツ時代

入学試験を受け、運よくデュッセルドルフ芸術アカデミーに入学できた。デュッセルドルフはかつてジャーマン・ニュー・ウェイヴで有名な街で、KraftwerkやDer Plan、DAFが演奏していたライブハウスRatingerhofに通い、またドイツのパンク・シーンにも触れる。この頃、インディーズバンド『Birdy Num Nums』に頼まれて、レコードジャケットに絵を提供する。言葉の不自由さは、ライブで空間を共有することや、音楽やサブカルチャーという共通項でかなり克服していたと思う。そして、アカデミーのみんなが自分の作品を教室(アトリエ)に観に来るようになり、作品を通して自分の言いたいことが伝わっているのだという実感も持ち始める。この頃は、パンクよりもポスト・パンク、グランジ、6、70年代のロックから影響を受けたようなロックを主に聴いていたが、お気に入りのバンドはハンブルク出身のパンクバンド『Die Goldenen Zitoronen』だった。『fur immer Punk = 永遠にパンク』という曲は、途中にUKパンクの名曲、Sham69の『If the kids are united』 の一節が挿入されている。ドイツの有名画廊で個展を行うようになり、友人たちはみんな喜んでくれた。国や団体の奨学金でやってくる普通の留学生とは違い、1年生から彼らと一緒だった自分は、幸運にも国や文化を背負ったようなプレッシャーやエリート意識が無かったため(?)か、みんなの代表的に思われていた節がある(後に「きみの活躍は僕らの誇りだ」と言われました~)。異国で孤独にいることで、幼児期の感性が取り戻され、また言葉を超えた共通言語としての音楽などを美術表現にも意識するようになったと思う。が、ここまでで重要なのは、すべて自ら発見したことではなく、偶然にも良い出会いや環境がそろっていたからです。自分の気持ちは、いつも、いつまでも、子供の時のまま、上京した時のまま、ヨーロッパを放浪した時のままであったと思う。ヨーロッパの宿や街角で出会ったように、学校でも友だちが出来、得意な絵で、分かり合える仲間とコミュニケーションしていたと思います。


M6 ♪  GT400 / Thee Michelle gun Elephant  日本へ帰国後

日本では(いつの時も新しいものに慎重な)美術関係者よりも、ファッション雑誌や総合文化雑誌などでの紹介のほうが早く、また自分の作品が持つ親しみやすくわかりやすいイメージも相まって、早くから一般に浸透した感がある。それはまた、表層を見ることに終始し、深く観ないというマイナスの側面も生んだと思う。帰国後、美術作家というよりもミュージシャンや芸能人のような扱いをされる時もあり、ファン層だけではなくメディアに対しても戸惑いがあった。そんな時、「そんなことはもうどうでもいいや!」と思っていたが、この歌が発表された時、大声で一緒に歌う自分がいた。それでも展覧会の会場や美術好きの集まるところ以外で声をかけられることは少なく、自由に暮らし制作していたと思う。しかし、この頃から制作や見せることに対する意識が少しずつ高くなり、多少の責任感が生まれ始めたと思う。2000年秋に帰国後は福生の米軍基地の滑走路に隣接する小さな倉庫を借りて(都心に比べて家賃が安かったのと、ステレオのヴォリュームを上げても大丈夫だったため)、そこで生活しながら制作していた。


M7  ♪ Ronnie Lane and The Band Slim Chance / The Poacher  A to Z後
  
ひとりで制作してきたが、自然な出会いというよりは人間関係で紹介される人や仕事で出会う人が多くなり始め、その流れでコラボレーションなどをするようになっていった。同じ目標に向かってする協働作業は楽しく、完成した時の喜びも倍増して、学園祭のような時期だったと回想する。ただ、その楽しさや協働制作の影で、自分本来の制作意識に曇りが生じ始めたことも確かだったが、みんなでワイワイやる中で、真剣に考えることはなかった。それでも、以前から誘われていた信楽(陶芸の森美術館)での陶器作品のレジデンス制作に行き、日々、ひとりで土に向うことがイコール自分と向かい合う、再び(ドイツでの体験のように)自分を見つめなおすことに繋がったのは、何かしら生き延びようとする野生の本能の成せたことだと今は思う。

これらの体験、音楽や出会いや制作や、それらにまつわる思考は実に複雑な積層をなしている。そのような事象は、自分の作品の表層からは伝わりにくいだろうし、簡単に伝わって欲しくないという想いもある。パーティバンドと呼ばれた70年代当時の大人気バンドFacesを自ら脱退したRonnie Laneが個に立ち返り、Facesの代名詞である『酒好きのバカ騒ぎロック』から自分が本来やりたかったものを作ったのがアルバムAnymore for Anymore。その中からの1曲。この時のロニーのバンド『Slim Chance = わずかなチャンス』という名前も好きだった。


M8  ♪ universal soldier / first aid kit   震災後

震災後は、10代の頃に聴いたマイナーレーベルのフォークやフォークロック、イギリスのトラッドなど語りかけるような優しい音楽や、人々の暮らしの中にあるような伝統的な音楽や、そのロックとしての変化形のようなものばかり聴いていた。それは、grafとの協働作業に区切りをつけ、再び自分を見つめなおす時期から聴きなおしていた、10代の頃パンクに出会う以前に聴いていた曲たちの延長線上にあるようなものであった。特にスウェーデンの姉妹デュオFirst Aid Kitが歌う(今の世界状況に合わせて歌詞が変わっている部分があるが)かつて好んで聴いていたDonovanの曲universal soldierのカバーは心に沁みた。


M9 ♪ World Top Dreamer / 八田ケンヂ  最近

僕はいつまでも10代、20代、30代、40代の頃の自分であり続けたい。先生扱いされるのも嫌だし、流行りものとも、すでに終わった流行とも捉えられたくない。今、現在進行形で生きているこの最中に、たとえそれが良いものであるとしても断定的な評価を下されるのも嫌だ。正直言うと、人気者になったような現在の状況よりは、無名で何の発表の予定もないままに時間を気にすることなく毎日絵を描いていたドイツ時代に戻りたいとさえ思っている。しかし、時間は進んでいくものだ。駆け抜けるように過ぎ去ってしまった時間に漂っている虚無感は、実感を伴わずにハイスピードで走ってきた自分にも原因があるのだろう。いろいろな素材を使うことで、表現することの基本に立ち返ろうとしている自分がいる。その気持ちは、美術だとか芸術だとか定義できるようなものに立脚してはいない。子供の頃からの、何かしらから自由になりたいと夢見ている気持ちの延長線上にあるものなのだ。だから、何度失敗しようとも無視されようとも否定されようとも、今までしてきたように絵を描き生きていくつもりだ。この曲は10代で日本のビートパンクの旗手のごとくデヴューして、当時は圧倒的な人気を誇ったKenzi & the tripsのKenziこと八田ケンヂが、低迷を続ける中で人生を振り返りながらも再び前を向き、変わらない気持ちを再確認した歌だ。僕はこの歌に自分を重ねる。そうしていると、自然と力が湧き上がってくるのを感じる。
    

M10 ♪ voyage of the moon / Mary Hopkin   人生最後に聴く歌

70年代、人気絶頂期のドノヴァンが、あまりにも拡大されてしまったファン層や音楽業界から離れ、小さな島に移住して作ったアルバム『HMS Donovan』というアルバムに収められている曲。元々はビートルズが作ったレコードレーベル『アップル』からリリースされる最初のシンガー、後にアップルの歌姫と呼ばれるMary Hopkinのためにドノヴァンは作った。さすがに歌を提供されたMary Hopkinが歌うこの曲は素晴らしく、小学5年生の頃に聴いて以来頭から離れないでいる。自分がこの世を去る時は、やっぱり夜がいい。できれば静まり返った深夜、満月の夜に旅立っていきたい。

その後、大成功をおさめたメリー・ホプキンであったが、商業主義的なアップル・レコードを去り、自身の母語であるウェールズ語で歌い始める。それは、ヒットするために書かれたものでも、プロモーションを必要とするものでもなく、自然の中から静かに語りかけるような、心温まるフォークソングであった。

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# by ynfoil | 2014-07-03 23:59 | music

my guardian 1

 シリーズ化しているやつ。


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# by ynfoil | 2014-07-03 21:36 | 写真作品

物心つく頃から・・・

自分はけっこう覚えてることが多くて幸せな気がしてる。

景色や音や間取りや事件・・・
保育園の靴箱のディティールが思い出せることが嬉しい。

夢に出てくるように、記憶の引き出しのどこかに、画像として残ってるんだなぁ。
脳ってスゴイね!




しっかし、あの頃の保育園はボロっちいなぁ~。
翌年に新園舎が出来て、引っ越したんだっけ。

孤児院を併設してた保育園だった。
花園保育園は、僕が生まれる6年前の昭和28年に開園した。
たぶん、旧日本軍の宿舎を改装して始まったんだと思う。
元々は明治時代に個人によって設立された孤児院が母体だ。
老人救護院や精神病院も併設していたのを考えると、よほどの慈善家だったのだろう。
老人救護院は、僕が小学校に入るころには県内初の養護老人ホームとなる。

ネットで調べたら佐々木五三郎という人が、明治35年に創設した東北育児院が始まりだった。

夕方5時になると鐘が鳴って、子供心にもなんだかいい感じだった・・・けれど、
みんな、お母さんたちが迎えに来るのだけど、自分は一人で帰ってたなぁ。
母が働いてたから仕方ないけれど、誰もいない家には帰らず、
大きな通り沿いにある、遠い親戚の造花屋さんのとこに帰ってた。
そこで時間をつぶして、夕方遅くに母が迎えに来るというパターンだった。

造花屋さんをやってる伯父さんは片足が悪くて、外に出る時はいつも松葉杖だった。
伯母さんは下半身不随で、いつも畳の上をイザって移動してたけど、なんでも出来た。
子供がいないのか、あるいは自立してしまったのか、二人きりで住んでいた。
だからかどうかわからないけれども、ふたりは小さい自分にとても優しくて、
僕は伯父さんの仕事を観ているのが好きで、いつもおとなしくずっと観ていた。
茶碗一杯ほどのご飯を、丸い棒を使って練り、糊を作る手際の良さもはっきりと思い出せる。
そうだ、伯父さんの隣の家には、自分と同じ年の男の子がいたけれども、
小学校へ入学する前に交通事故で亡くなったのを思い出した・・・。
通りに面したその家の縁側から、その子の写真が飾られてる仏壇が見えて、
僕はいつも精一杯に屈んで通り過ぎていた。
それは、写真のその子と目が合うからではなく、
彼の家の人に見られることが、悪いことのように思えたからだった。

造花屋の伯父さんを、僕は『ハッコのオド』と呼んでいた。
あ、ということは、ハッコのお父さんなのか!

竹ひごや綺麗な紙を使って、仏様の前に供える造花を作っていくオドはカッコ良かった。
夏のネプタ祭りに備えて、金魚ネプタも作っていたし、凧絵も描いてた。
親戚中を見渡しても、一番クリエイティヴな人だったなぁ・・・

松葉杖を抱えながら、片足で自転車を漕いでるハッコのオドはカッコ良かった。

小学校に入ると、オドのところへは寄らずに帰るようになってしまった。
4年生の夏休み、宿題の工作で小さなネプタを作ることにして、オドに作リ方を聞きに行ったことがあった。
久しぶりに会ったオドは、僕に作らせず、勝手に全部作ってしまって、僕を困らせた。

いろんな場面、そのディティールさえ、僕はまだ鮮明に覚えてる。
自分の家の間取りや、畳の擦り切れた部分さえ思い出せる。
眼をつぶれば、真夜中、トイレに行くときに入れた電気のスイッチの位置さえわかるのだ。

それから、家の庭にあったブドウの木。
木の根元に夜店で買った亀をつないでた。
イチゴも作ったし、鶏も飼った。
隣の家には羊がいたし、馬がいる家もあった。
平屋の赤い屋根に上って、遠くに花火大会を観た。
遠い遠い川にかかる橋の欄干の灯りも見えた。
夜空に広がる星々がきれいだった。

そんな丘の上の一軒家。
その一軒家は小学校高学年の頃に増築して2階建てになった。
周りには家が建ち並んで、いっぱしの住宅街になってしまった。
そして、僕がドイツにいる間に建て直しをして、僕の部屋は消えた。
ハッコのオドは、僕が家を離れてる間に亡くなってしまってた。
あの頃の家はもちろん、伯父さんたちも、この世には存在してはいないんだな。

それでも、僕は、まだまだいろんなことを思い出せている。
それは、決して感傷的な気持なんかではなくて、
そんな思い出とずっと一緒に生きていて、これからもそうなんだろうっていうことだ。

50歳を過ぎて、人生を折り返し、未来よりも過去のほうが多い状況。
過去を大切にして、まだまだ思い出せてないことを思い出したい。
未来だって、思い出すために存在している気がしてくる。
良い未来を作りたい。

たとえば30年後に、今のこのスタジオのディティールを日記に書くために、
今聴いてる曲を、間違いなく思い出すために、今日を生きよう!

毎日、悔い無く生きよう!

空の上にいる、優しかった伯父さんに伯母さんたち、お爺さんにお婆さん、
まだまだ生きていくだろう俺は、頑張ります!

それから、死ぬまで反抗し続けてきて、飛行機の時間をわざと遅らせて、
火葬の時間は元より、葬式にまで遅刻して行った自分だけど、
思い出すほどに、父には愛されていたのだと感じます。

頑張ろう!

この、頑張ろう!って言葉。
頑張るのが当たり前だと思ってた頃は、絶対に使わなかったし、人から言われるのも嫌だった。
でも、2011年の震災の後、当たり前に頑張ることが難しくなってきて、今は素直に言えるようになった。

頑張ろう!


PS.庭にあったブドウの木は、絶対にスチューベン!


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# by ynfoil | 2014-06-11 04:19 | 日記

初個展から30周年!

30yrs from 1984 first solo show

2014
Print Works, Satellite, Okayama, Japan
Sawada Mansion Gallery, Kochi, Japan
Blum & Poe, Los Angeles, CA

2013
Pace Gallery, New York, NY

2012
NARA Yoshitomo: a bit like you and me…, Yokohama Museum of Art, Yokohama, Japan; traveled to Aomori Museum of Art, Aomori, Japan; Contemporary Art Museum, Kumamoto, Japan
The Little Little House in The Blue Woods, Towada Art Center, Aomori, Japan
Yoshitomo Nara Prints, 8/Art Gallery/Tomio Koyama Gallery, Tokyo, Japan

2011
Print Works, Roppongi Hills A/D Gallery, Tokyo, Japan

2010
ceramic works, Tomio Koyama Gallery, Tokyo, Japan
Yoshitomo Nara: Nobody’s Fool, Asia Society, New York, NY
New Editions, Pace Prints, New York, NY

2009
Marianne Boesky Gallery, New York, NY
The Crated Rooms in Iceland – Yoshitomo Nara + YNG, Reykjavik Art Museum, Reykjavik, Iceland

2008
Yoshitomo Nara with Installation by YNG, Blum & Poe, Los Angeles, CA
Yoshitomo Nara + graf, BALTIC Centre for Contemporary Art, Gateshead, UK
Galerie Zink, Munich, Germany
Galerie Meyer Kainer, Vienna, Austria
Chaguin, Misako & Rosen, Tokyo, Japan (collaboration with Hiroshi Sugito)

2007
Torre de Málaga, Centro de Arte Contemporáneo de Málaga, Spain
Yoshitomo Nara + graf, GEM, Museum of Contemporary Art, Den Haag, Netherlands
Johnen + Schöttle, Cologne, Germany
Berlin Baracke, Galerie Zink, Berlin, Germany

2006
Moonlight Serenade, 21st Century Museum of Contemporary Art, Kanazawa, Japan
Yoshitomo Nara + graf: A to Z, Yoshii Brick Brew House, Hirosaki, Japan
Stephen Friedman Gallery, London, UK

2005
Home, graf media gm, Osaka, Japan
Marianne Boesky Gallery, New York, NY

2004
Yoshitomo Nara: From the Depth of My Drawer, Hara Museum of Art, Tokyo, Japan; traveled to Kanaz Forest of Creation, Fukui; Yonago City Museum of Art, Tottori; Yoshii Brick Brewhouse, Hirosaki, Aomori; Rodin Gallery, Seoul (cat.)
Galerie Meyer Kainer, Vienna, Austria
Nowhere Land, Galerie Johnen & Schöttle, Cologne, Germany
Yoshitomo Nara: New Works 2004, Blum & Poe, Los Angeles, CA
Somewhere…, Galerie Zink & Gegner, Munich, Germany (collaboration with Hiroshi Sugito)
Shadow Puddles, graf media gm, Osaka, Japan
Over the Rainbow: Yoshitomo Nara and Hiroshi Sugito, Pinakothek der Moderne,
Munich, Germany; traveled to the K21, Düsseldorf, Germany

2003
Yoshitomo Nara: Nothing Ever Happens, Museum of Contemporary Art, Cleveland; traveled to Institute of Contemporary Art Philadelphia, PA; Contemporary Art Museum St. Louis, MO; San Jose Museum of Art, San Jose, CA; Contemporary Museum, Honolulu, HI
S.M.L., graf media gm, Osaka, Japan
Galerie Zink & Gegner, Munich, Germany
New Drawings, Tomio Koyama Gallery, Tokyo
The Good, the Bad, the Average.... And Unique, Little More Gallery, Tokyo, Japan
Stephen Friedman, London, UK

2002
Saucer Tales, Marianne Boesky Gallery, New York, NY
Who Snatched the Babies?, Centre National de l’estampe et de l’arte imprimè, Chatou, France
12 Etchings, Space Force, Tokyo, Japan

2001
In Those Days, Hakutosha, Nagoya, Japan
NARA Yoshitomo: I DON’T MIND, IF YOU FORGET ME, Yokohama Museum of Art, Yokohama Japan; traveled to Hiroshima Museum of Contemporary Art; Ashiya City Museum of Art;
Asahikawa Prefectural Museum of Art; Aomori Museum of Art; Hirosaki Yoshii Brick Brewhouse, Hirosaki, Japan (cat.)
Drawings Days, Collette, Paris, France
Clear For Landing, Galerie Michael Zink, Munich, Germany
In the White Room: An Exhibition of Paintings and Drawings, Blum & Poe, Santa Monica, CA

2000
Stephen Friedman Gallery, London, UK
In the Empty Fortress, Galerie Johnen & Schöttle, Cologne, Germany
Lullaby Supermarket, Santa Monica Museum of Art, Santa Monica, CA
Walk on, Museum of Contemporary Art Chicago, Chicago, IL

1999
Done; Did, Parco Gallery, Nagoya, Japan
Happy Hour, Hakutosha, Nagoya, Japan
Somebody Whispers in Nürnberg, Institut fur Moderne Kunst Nürnberg, Nürnberg,
Germany (cat.)
Pave Your Dreams, Marianne Boesky Gallery, New York, NY
An Exhibition of Sculpture in Two Parts, Blum & Poe, Santa Monica, CA
Walking Alone, Ginza Art Space, Tokyo, Japan (cat.)
In the Floating World, Nadiff Gallery, Tokyo, Japan
No, They Didn’t, Tomio Koyama Gallery, Tokyo, Japan

1998
Institute of Visual Arts, University of Wisconsin, Milwaukee, WI (cat.)

1997
Blum & Poe, Santa Monica, CA
Screen Memory, Tomio Koyama Gallery, Tokyo, Japan
Lonesome Puppy, Hakutosha, Nagoya, Japan
Drawing Days, Hakutosha, Nagoya, Japan
Sleepless Night, Galerie Michael Zink, Regensburg, Germany
Yume Ooka Art Project, Yokohama, Kanagawa, Japan

1996
Galerie Johnen & Schöttle (with Karen Kilimnik), Cologne, Germany
Lonesome Puppy, Tomio Koyama Gallery, Tokyo, Japan
Hothouse Fresh, Gallery Hakutosha, Nagoya, Japan (cat.)
Empty Surprise, Artium, Fukuoka, Japan
Cup Kids, Gallery Hakutosha, Nagoya, Japan

1995
Cup Kids, Museum of Contemporary Art, Nagoya, Japan
Pacific Babies, Blum & Poe, Santa Monica, CA
In The Deepest Puddle, SCAI The Bathhouse, Tokyo, Japan (cat.)
Nothing Gets Me Down, Galerie Humanite, Tokyo, Japan (cat.)
Oil on Canvas, Galerie Humanite, Nagoya, Japan (cat.)

1994
Lonesome Babies, Hakutosha, Nagoya, Japan (cat.)
Hula Hula Garden, Galerie d’Eendt, Amsterdam, Netherlands
Christmas For Sleeping Children, Itoki Crystal Hall, Osaka, Japan (cat.)

1993
Galerie Johnen & Schöttle, Köln, Germany
Be Happy, Galerie Humanite, Nagoya & Tokyo, Japan (cat.)

1992
Loft Gallery, Deventer, Netherlands
Drawings, Galerie d’Eendt, Amsterdam, Netherlands

1991
Harmlos, Galerie im Kinderspielhaus, Dusseldorf, Germany
cogitationes cordium, Galerie Humanite, Nagoya, Japan
Galerie d’Eendt, Amsterdam, Netherlands

1990
Galerie d’Eendt, Amsterdam, Netherlands

1989
Irrlichttheater, Stuttgart, Germany

1988
Innocent Being, Galerie Humanite, Nagoya & Tokyo, Japan
Goethe Institute, Dusseldorf, Germany

1985
Recent Works, Gallery Space to Space, Nagoya, Japan

1984
Wonder Room, Gallery Space to Space, Nagoya, Japan
It’s a Little Wonderful House, Love Collection Gallery, Nagoya, Japan


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# by ynfoil | 2014-05-31 22:08 | 日記

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